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劉備、都洛陽に凱旋する
劉備三兄弟は黄巾賊との数々の死闘に勝利し、都洛陽(=現在の河南省西部。司隷(司州)東部。記事下の地図参照。)に凱旋しました。
大将軍朱儁は張宝、張梁を討伐した戦功が認められ、都に着くなり車騎将軍に任じられていました。
病死した賊の首領張角の墓を暴き、その首を都に送った皇甫嵩将軍は益州の太守に任じられていました。
張梁討伐の際に、劉備とともに戦った孫堅も別部司馬に任じられました。
一方、劉備は…。
黄巾の乱を平定してから一月、間もなく冬を迎えようとしていました。
にもかかわらず、劉備ら義軍は、依然として洛陽城外に留め置かれていたのでした。
いまだ恩賞の沙汰はありません。
張宝が陣を構える鉄門峡を落としたのは劉備ら義軍でした。
張梁討伐の際に、東門を手薄にして黄巾賊を誘き寄せ、一網打尽にする作戦を献策したのも劉備でした。
正規兵ではないということで差別され、官軍の諸将からは冷遇され続けて来ましたが、今度こそ天子(=皇帝。)より勅禄が下賜される、そう信じていた矢先の城外留め置き。
凍える義軍の兵卒を見ながら、劉備には彼らに暖かい衣服を支給することもできません。
三兄弟は虚しさに包まれ、日に日に無口になっていきました。
高希希監督『Three Kingdoms』の、左から関羽、劉備、張飛
今日も恩賞の沙汰がないまま日が暮れようとしていたその時、一台の馬車の中から劉備に声を掛ける者がいます。
それは、同じく恩師盧植に学んでいた同門の張均でした。
張均は帝の側近くに仕える郎中となっていました。
黄巾賊討伐が完了して久しい時分、劉備がまだ戦の格好をして城外に駐屯していることを、張均は訝しく眺めました。
玄徳(=劉備の字。)、これは一体どういうことだ?
深い嘆息をした後、劉備は洛陽城を見つめながら張均に言いました。
洛陽に凱旋してから大分経ちますが、私たちには何の沙汰も下されず、虚しく城外に留め置かれています。
聞けば、朱儁将軍や皇甫嵩将軍、孫堅将軍にはすでに恩賞が下賜され、論功行賞も終わったとのこと。
それと言うのも、いま朝政を牛耳っている十常侍ら宦官(=去勢された男性官吏。)に賄賂を渡した者から優先的に褒賞が与えられているのだとか。
このままでは共に戦ってくれた兵卒に申し訳なく、また冬を越すこともできないと考え、朱儁将軍に訴え出ようと思っているところです。
張均はその日、霊帝に謁見することになっていました。
そのため、張均は劉備の処遇について早急に御沙汰下さるよう、帝に上奏することを劉備に約束したのでした。

劉備、仕官する
張均の計らいもあり、劉備は中山府(=現在の河北省定県。冀州。)安喜県の県尉となりました。
いまで言えば、一地域の警察署長といった役職でした。
それでも、天子からの勅禄ということで、三兄弟は嬉々として任地に赴きました。
劉備は義勇軍を率いていた時も、軍律を徹底し、賞罰を明確にしました。
また、戦死した義兵がいれば涙をもって哀悼し、負傷した兵士がいれば自ら慰問しました。
兵士たちは、劉備のためならこぞって命を投げ出そうと考えました。
だからこその、数々の戦功だったのです。
そして、それは安喜県に来てからも変わることはありませんでした。
劉備が赴任してきてからというもの、強盗略奪などは皆無となり、民は空前絶後の平和な暮らしを謳歌していたのでした。
ある時、洛陽からの勅使として、督郵という高官が安喜県にやって来ました。
黄巾賊が鎮圧され、各地の行政機関は立て直しの最中でした。
また、論功行賞の末に、各地に新任の官吏が多数赴任していました。
各地の行政機関が健全に機能しているかどうか、不正が行われていないかどうか、督郵はそれを確認するために天子から巡視役を拝命していたのです。
勅使であるため、劉備は失礼のないよう丁重に督郵を迎えました。
督郵は意味深な言葉を劉備に投げかけます。
しかし、劉備にはその意味が分かりませんでした。
劉備が黙っていると、督郵はあからさまに不機嫌な表情を浮かべ始めました。
督郵が劉備の素性を尋ねたので、劉備は、自らが漢の景帝の子、中山靖王劉勝の末裔であると告げます。
すると督郵は罵るように一喝しました。
漢の皇孫を名乗るとは、なんとも恐れを知らない不埒な奴。
今回の巡察は、黄巾討伐で得たわずかな勲功を鼻にかけ、大言壮語で行政を乱すお前のようなやからを取り締まるためのものである。
お前の不手際は必ず白日の元に晒され、天子の知るところになろうぞ。
覚悟せよ!
督郵が退出した後、劉備は、なぜこのように督郵が自分たちに辛く当たるのかを督郵の従者に尋ねました。
すると、従者たちは呆れたように、「お前たちが、いつまで経っても督郵様や私たちに賄賂を渡さないからである」と、平然と述べるのでした。
劉備は吐き捨てるように呟きました。
劉備には、督郵に賄賂を渡すつもりはありませんでした。
怒り心頭の督郵は、県令(=県の長。)を呼びつけ、これまでの劉備の不手際を帝に上奏するよう指示します。
しかし、県尉としての劉備の働きは見事という他ありません。
民からの苦情もまるでありませんでした。
県令が躊躇っていると、「上奏しなければお前の一族に害が及ぶぞ」と督郵は県令にすごむのでした。
県尉の庁舎の前で、さめざめと泣く民衆がいました。
1人や2人ではありません。
酒に酔った張飛が偶然それを目撃し、泣いている理由を民に問いました。
県尉としての職務怠慢を理由に、劉備さまを即刻罷免させるべきとの上奏文を、勅使の督郵が県令に書かせたのです。
このままでは、安喜県に秩序をもたらして下さった劉備さまがひどい目に遭わされると考え、こうしてお伝えに上がったのです。
張飛は目を怒らせ、髪は天を突かんばかりに逆立ちました。
高希希監督『Three Kingdoms』の張飛
旗揚げから今日まで、漢の国のために命を捧げてきたにも関わらず、常に督郵のような無能な高官に差別され、冷遇されてきた記憶が蘇ってきます。
張飛は督郵を外に引っ張り出すなり、柳の木の枝に吊し上げ、幾度となく鞭打ちました。
お前のような悪吏がいるから、世の中は乱れるのだ。
黄巾賊のような輩が蔓延るのだ。
よくも兄上のような仁義のお方を陥れようとしてくれたな。
この極悪非道が。
この鞭は、悪政に苦しむ民の叫びである。
天誅である。
騒ぎを聞きつけた劉備が駆けつけてみると、督郵の衣は破れ、皮膚は裂け、血が滲み出ていました。
劉備は、「天子のご使者に対してなんたる暴挙か!」と張飛を打ち据えました。
ようやく張飛の鞭は動作を止めました。
そして、劉備は督郵を柳の木から下ろし、縄を解こうとしました。
すると、今まで黙っていた関羽が、縄を解こうとする劉備の手を取り、諭すように言うのです。
このような者の縄を解いて何になりますか?
確かにこやつは帝の勅使です。
しかし、朝廷が我々に何をしてくれたと言うのですか?
あれだけの戦功を挙げながら、私たちは一県尉の任を与えられたのみです。
しかも、張均の上奏がなければ、今ごろは洛陽城外で凍え死ぬか、餓死するかのどちらかでした。
こうして県尉の職務を全うし、その任を果たしていても、督郵のごとき無能な悪吏の辱めを受けるのです。
ここにいても、私たちの大志は果たせません。
私たちは住む場所を誤りました。
このような場所から、漢の復興を成し遂げるのは不可能です。
ここを離れて、もう一度大計を練り直しましょう。
張飛の肩が震えています。
その場に居合わせた者で、落涙しない者はただの一人もいませんでした。
劉備は、優れた言には必ず耳を傾けました。
桃園での誓いの言葉が思い出されます。
劉備は首に掛けていた県尉の印綬を督郵に返すと、張飛の手を取り、関羽の手を取り、それきり行方をくらますのでした。
西暦 | 出来事 | 年齢 | ||||||
劉備 | 孔明 | 曹操 | 孫堅 | 袁紹 | 董卓 | 呂布 | ||
前202 | 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。 | |||||||
前157 | 景帝が漢の皇帝に即位する。 | |||||||
168 | 霊帝が漢の皇帝に即位する。 | 7 | 13 | 13 | 14 | 30 | 7 | |
184 | 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 | 23 | 3 | 29 | 29 | 30 | 46 | 23 |
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