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張宝との決戦
頴川(=現在の河南省。豫洲西部に位置し、都洛陽に近い。)に戻った劉備は大将軍朱儁に頼まれ、黄巾賊の首領張角の弟張宝が陣を敷いている鉄門峡を攻めました。
しかし、劉備や朱儁の兵は、妖術使いと噂される張宝に怯え、前に進もうとしません。
そこを攻撃され、張宝に大敗を喫した劉備たちは谷口から数里退き、作戦を練り直すことにしました。
劉備は言います。
あの烈風は自然のなせるわざ、妖術などではない。
険しい山の狭間にある鉄門峡には、それぞれの山から風が吹き下ろしてくる。
その谷間風が、天候が悪い日には特にあのように突風となって吹き注ぐ。
張宝はその自然現象を巧みに利用している。
張宝は我々の心を攻めているのだ。
兵士たちの恐怖心を拭い去る、何か良い方法はないものか?
関羽が答えます。
なるほど。
しかし、張宝の陣屋を攻めるには、あの谷口を突破する以外に方法はない。
どうするべきか・・・
張飛は何か閃いたかのように、地形図の置かれた机を叩いて進言します。
そう張飛が言うと、「あの絶壁を登れるわけがなかろう」と関羽がたしなめます。
しかし、張飛は真顔で食い下がります。
雲長(=関羽の字。)よ、誰もが登れないと思っているところを登って攻めるから、敵の意表を突くことができるのではないか。
張飛にしては珍しく理論的な作戦だったので、劉備も関羽も大笑いしました。
そして、2人は声を揃えて「妙案だ!」と張飛の肩を叩くのでした。
劉備たちは天候の良い日を選び、一手は先日大敗を喫した谷口に、もう一手は谷の断崖をよじ登って張宝の陣屋の後方に回り込み、挟撃する作戦を立てました。
谷口から攻めかかろうとすると、張宝は例の如く、呪文を唱えて敵の肝を冷やす作戦に出ます。
しかし、やがて後方から銅鑼が鳴り響くので、張宝は裏切り者が出たと思って慌てふためきます。
そうとしか考えられないくらい、誰もが谷の絶壁を登るのは困難と思っていたのです。
呆然とする張宝のこめかみに、義軍の兵が放った矢が突き刺さります。
劉備は「張宝討ち取ったり!」と叫ぶや、黄巾賊は戦意を喪失します。
立て続けに、劉備軍は今度は火攻めを展開し、万余の黄巾賊を討ち取ることに成功したのでした。

宛城攻略
劉備が戦勝報告をすると、朱儁はただ一言「そなたも運が良いのう」と言っただけでした。
劉備に鉄門峡を攻めさせている間、朱儁は張角の弟張梁が立て籠る宛城(=現在の河南省南陽市。荊州。記事下の地図参照。)を攻めていました。
攻めあぐねているうちに、同じく大将軍の任についていた皇甫嵩は別の地で連戦連勝していました。
そして、病没した張角の墓を暴いてその首を都洛陽に送ったところ、皇甫嵩は戦功第一として車騎将軍に任じられ、益州の太守の位まで与えられたのでした。
また、頴川の戦いで巡り会った赤備えの曹操も昇進し、朱儁はなお焦りを募らせるのでした。
劉備は一計を献じます。
四方から攻めては、敵は恐れをなして城門を固く閉ざし、籠城して出てきません。
また、敵は逃げ場を失うため、決死の覚悟で攻めてくることもあるでしょう。
そこで、敢えて東門の一角を手薄にし、敵兵がそこに逃げ込んできたところを殲滅するのが良いでしょう。
鉄門峡を陥落させた劉備の言には説得力がありました。
朱儁はこの計を採用します。
折しも、宛城攻略に手間取っている朱儁のもとに、一人の豪傑が駆けつけて来ました。
孫堅、字を文台と言い、代々江東(=長江下流域一帯。揚州。)を拠点にしていた豪族で、もとを辿れば孫氏の兵法で知られる孫武の子孫でした。
高希希監督『Three Kingdoms』の孫堅
関羽と張飛は、曹操を見た時に感じたものと同じようなオーラを、この孫堅のうちにも感じ取ります。
戦闘開始。
朱儁は、南門を孫堅に攻めさせ、劉備には北門を攻めさせ、自らは西門を攻めました。
先日の劉備の進言の通り、東門はわざと手薄にされていました。
孫堅は自ら城門をよじ登り、城内に分け入って多くの首級を挙げます。
城内にいた兵はかつてない猛攻に押され、東門から逃げ出す者が相次ぎました。
勝敗はここに決しました。
朱儁は、ついに宛城攻略に成功したのでした。
西暦 | 出来事 | 年齢 | ||||||
劉備 | 孔明 | 曹操 | 孫堅 | 袁紹 | 董卓 | 呂布 | ||
前202 | 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。 | |||||||
前157 | 景帝が漢の皇帝に即位する。 | |||||||
168 | 霊帝が漢の皇帝に即位する。 | 7 | 13 | 13 | 14 | 30 | 7 | |
184 | 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 | 23 | 3 | 29 | 29 | 30 | 46 | 23 |
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