【1日5分】あらすじ三国志59「血に染まる黄河」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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血に染まる黄河

土地のやくざ者や山賊などを味方につけた李傕りかく郭汜かくしの連合軍に急襲された楊奉ようほうは、献帝けんていや侍従らが所持していた財物を道にばらき、敵兵に取り合いをさせることで追撃の勢いをいだ。

 

しかし、これはあくまで時間稼ぎにしかならない。

 

奴らが再び襲って来た時、1000余騎の兵では到底防ぎようがない。

 

そう考えた楊奉は、李傕らが率いる数万の軍勢に対抗するために、白波軍はくはぐんに救いを求めることを決めた。

 

白波軍とは、河東かとう郡(=現在の山西さんせい省南部。司隷しれい司州ししゅう)北部。記事下の地図参照。)の白波谷はくはこくを拠点にしていた賊で、主に黄巾賊こうきんぞくの残党で構成されていた。

 

もとを辿たどれば、楊奉自身も過去にこの白波軍の頭目とうもくの一人であったことから、交渉はとんとん拍子びょうしに進んだ。

 

山賊としてくすぶっていた白波軍の棟梁とうりょう李楽りがくは、天子てんし(=皇帝。)を警護する官軍になれることを喜び、仲間の韓暹かんせん胡才こさいと共に楊奉の誘いに応じたのである。

 

こうして、新たに白波軍を加え、楊奉の部隊と董承とうしょうの指揮する御林軍ぎょりんぐん(=天子を警護するための軍隊。)、合わせて三千ほどの行軍こうぐんとなった。

 

あんじょう、李傕・郭汜の軍はすぐに迫って来た。

 

彼らは、楊奉の軍が野卑やひな白波の山賊と連合しているとの報告を受けると、楊奉が落とした財物を、逆に楊奉の軍に投げ返した。

 

すると、今度は白波軍の兵たちがその財物に群がり、そこを李傕らの軍にしたたかに討たれたのであった。

 

胡才はじにし、李楽も命からがら献帝の御車ぎょしゃに追いつく始末であった。

 

献帝一行は、李傕らの追撃を逃れるために、未開の地が多い陝西せんせい北部(=司隷(司州)北部。)の道なき道を進んだ。

 

野を越え、林を抜け、追い詰められて行き着いた先は、眼下に黄河を望む断崖絶壁のいただきであった。

 

戻れば捕まる。

迷っているいとまはない。

 

楊奉らは縄をつなぎ合わせて木にくくり付け、城郭よりも高くそびえる絶壁を降下する決断をした。

 

とは言え、御年おんとし十四じゅうしの献帝やか弱い皇后がお下りになれるとは思えない。

 

そこで、楊奉は献帝に事情をお伝えし、献帝や皇后を御衣おんぞにお包みして崖下がいかまでお連れ申し上げたのであった。

 

その後、侍従や兵たちも次々に縄をつたって下りて来た。

 

先に下りていた李楽はようやく一艘いっそうの漁船を見つけ出し、そこに献帝や皇后、董承などが乗り込んだ。

 

李楽は自分の手下に、それがいつものことでもあるかのように、「お前たちは各自船を見つけて河を渡れ」と乱暴に指示すると、みなを待たずに出航してしまった。

 

後を追って崖を下りてきた侍従は慌てて入水じゅすいし、みな手を伸ばして乗船しようとした。

 

すると、「おっと、お前らが乗る余裕はねえよ」と、李楽は舳先へさきつかまった宮人みやびとの手や指、腕を切り落としてしまった。

 

みるみる血に染まっていく黄河の流れをご覧になりながら、献帝は「すまぬ、この逃避行が叶い、東都(=洛陽らくよう。)に辿たどり着いたあかつきには、必ずや先帝せんてい祖廟そびょうにてそなたらの霊をまつろうぞ」と、止めどなく涙をお流しになるのだった。

 

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献帝、安邑に留まる

黄河を渡り切ると、楊奉は土民の家から牛車ぎっしゃを引っ張り出し、それにむしろを敷いて御車とし、献帝をお乗せした。

 

一人、また一人とはぐれていた侍従や兵士らが合流した。

 

その中には太尉たいい(=三公さんこうの一つ。軍事を司る長。)楊彪ようひょうの姿もあった。

 

献帝は楊彪の手を取り、「よくも無事で」と落涙なさるのだった。

 

ただ、生還したほとんどの兵が李楽の手下だったので、李楽の部隊だけが200余人を超える大部隊となった。

 

それによって、李楽の横柄おうへいな態度が目立つようになり、楊奉や董承との意見の食い違いが多くなった。

 

逃避行は、それからまた幾日いくにちも続いた。

 

ある日、太僕たいぼく(=車馬を管轄する官吏。)韓融かんゆうが献帝に奏上した。

 

陛下、私は李傕・郭汜とは浅からぬ親交がございます。

成否せいひの程は定かではありませんが、撤兵するよう両者に説得を試みたいと存じます。

この交渉、成らなくとも多少の時間稼ぎにはなりましょう。

 

そう言って、韓融は元来た方へ取って返した。

 

一行は安邑あんゆう(=現在の山西さんせい省南部。司隷しれい司州ししゅう)東部。洛陽のすぐ西に位置する。)に到達した。

 

軍の立て直しのために、この安邑に仮の御所ごしょを建て、しばらく逗留とうりゅうすることになった。

 

侍従や兵士は協力して田畑を耕したり、山に分けっては鳥獣を捕獲したりして飢えをしのいだ。

 

そのうち、李楽は明からさまに不遜ふそんな態度を取るようになった。

 

李楽は献帝に請われて加勢するや、自分が征北せいほく将軍に任じられたものだから、得意になって部下にも官職を与えるよう、献帝に迫った。

 

侍従らは、恐れを知らぬ李楽の態度をいさめたが、その度ごとに李楽に恐喝されたり罵倒ばとうされたり、また時には暴行されることもあった。

 

献帝は、「天子の玉印ぎょくいんがなければみことのりは出せない、しばし待て」と拒否なさったが、「印など何でもよろしいではございませんか」と李楽は譲らない。

 

結局、献帝は木片を用意させ、ご自身で文字を彫って印綬いんじゅとした。

 

「お前は校尉こういだ、お前は御史ぎょしだ。これからもおれのために尽くせよ」と、李楽は勝手に手下の者を任官させ、その度ごとに献帝は詔を発布なさった。

 

そして、任官が終わると、李楽は手下を連れて近くの村に酒と女を求めに繰り出し、行く先々で悪事を繰り返すのだった。

 

それからしばらくして、李傕に撤兵するよう要請するために使いしていた韓融が戻って来た。

 

なんと、李傕と郭汜がその要請に応じたというのである。

 

しかし、よくよく聞いてみれば、韓融の求めに応じたというよりは、ここ数年の飢饉ききんの影響で、万余の軍を維持することが困難になったからというのが真の退却理由であるらしかった。

 

そのせいか、李傕にとらわれていた捕虜はことごく舞い戻り、安邑の仮御所でもにわかに食糧問題に頭を抱えることになった。

 

洛陽に帰ろう。

 

献帝は何度もおっしゃった。

 

安邑では冬は越せない。

洛陽は天子建業の地であり、これ以上この狭小な仮御所に天子をおとどめするのはいかがなものか。

 

そういう意見が大勢を占めるようになったが、「洛陽へ行ったところで、飯が食えるようになるわけではない」と、いつも李楽だけが強硬に反対した。

 

そこで、例の●●任官式を終えた李楽が有頂天うちょうてんで村に繰り出し、酒と女を求めて仮御所を留守にしている隙に、楊奉、董承、楊彪に周りを警護された献帝は安邑を抜け出し、一路、東都洛陽を目指すことになったのであった。

 

挿入画像

西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫策 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 6 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 9 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 15 36 52 29
190.2 董卓、都を長安に遷す。 29 9 35 15 36 52 29
192 董卓、暗殺される。 31 11 37 17 38 54 31
193 曹操、徐州に侵攻する。 32 12 38 18 39    32
194 劉備、徐州を領する。 33 13 39 19 40   33

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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