【1日5分】あらすじ三国志58「徐晃、献帝に拝謁する」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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徐晃、献帝に拝謁する

李傕りかく郭汜かくし張済ちょうさいの勧告によって和解し、勢力の立て直しのために張済が領有していた弘農こうのう(=現在の河南かなん省西部。司隷しれい司州ししゅう)の東に位置し、旧都洛陽らくようの西隣にあった。記事下の地図参照。)に献帝けんていをお連れし、暫定的に遷都をすることになった。

 

土壇場どたんばで遷都に異議を唱えた郭汜の隙をつき、李傕と張済は献帝や皇后、侍従を伴って長安を脱したが、猛追してきた郭汜と華陰かいん県(=現在の陝西せんせい省華陰市。長安の東に位置する。)で交戦状態となった。

 

しかし、そこに、以前李傕に反旗はんきひるがえして敗れ、在野に潜んでいた騎都尉きとい楊奉ようほうが1000余騎を引き連れて現れた。

 

楊奉は李傕に敗れた後、終南山しゅうなんざん(=現在の陝西省南部に位置し、道教どうきょう発祥の地の一つとされる。南山なんざんとも。長安の南東にある。)に潜んで部隊を立て直し、賈詡かくの離間の計によって逃亡していた将兵を旗下きかに組み入れ、李傕を討伐する機会をうかがっていたのであった。

 

楊奉は、李傕・張済の連合軍と郭汜軍を無差別に攻撃し、中でも大斧を振り回す一人の武士もののふの活躍もあって大勝し、ついに暴虐の限りを尽くした董卓とうたくの遺臣から天子てんし(=皇帝。)をお救いしたのであった。

 

献帝は膝にすがりつく皇后をいたわりながら、戦いの一部始終を御車ぎょしゃの中からご覧になっていた。

 

李傕らが撤退すると、楊奉は軍勢を御車の前に整列させ、自らはひざまずいて献帝のおりを待った。

 

月下の広野を静けさが包んだ。

 

献帝ははなはだ感激なさり、御車からお降りになるや、恐れ多くも楊奉の手を取って三将軍撃退の功労をお称えになった。

 

ちん9歳ここのつで帝位にいてからと言うもの、長きにわたり賊にもてあそばれてきた。

楊奉よ、今、朕はようやく雲の晴れ間から月を眺めた気分ぞ。

時に、そなたの軍の中に、大斧を操って獅子しし奮迅ふんじんの活躍をしていた者がいたが、名は何と申すか?

 

楊奉は、李傕襲来に備えて後軍こうぐんの指揮に当たらせていたその者を陣頭に呼び寄せ、「この者は河東かとうよう県の産で、徐晃じょこうあざな公明こうめいと申します」と献帝にお答えした。

 

挿入画像

高希希監督『Three Kingdoms』の徐晃

 

そちの活躍、御車から見ておった。

そちがおれば、いくさけた西涼せいりょう兵(=李傕や郭汜の軍は、主に西涼(涼州りょうしゅう)から引率されて来た部隊。)も怖くはない。

頼もしく思うぞ。

これからも朕を盛り立てよ。

 

献帝がお言葉をかけられると、徐晃は「ははっ」と低頭し、「この命に替えましても」と静かに答えるのだった。

 

名将徐晃は、こうして世に出たのであった。

 

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楊奉、献帝から財宝を借りる

献帝一行は、楊奉が密かに陣所を構えていた華陰県の寧輯ねいしゅうという部落で夜を越した。

 

目的地であった弘農を治めていた張済は、もはや味方ではない。

 

そのため、一貫して李傕らとは距離を置いてきた頴川えいせん(=豫洲よしゅう西部。)の曹操そうそう冀州きしゅう袁紹えんしょう南陽なんよう(=荊州けいしゅう北部。)の袁術えんじゅつといった諸侯たちの領地にほど近い洛陽(=現在の河南省西部。司隷(司州)の東に位置する。)に向かうこととなった。

 

これは献帝たってのご要望でもあった。

 

明朝、一行が出立しようとした時、にわかに「敵襲!」という声が陣営に響いた。

 

なるほど、数万の軍勢がを打ち鳴らし、こちらに迫ってくる。

 

見れば、昨夜徐晃の大斧に散々打ち負かされた李傕や郭汜が再び団結し、そこに華陰の山賊や無頼漢ぶらいかん(=やくざ者。)なども加わっているらしい。

 

多勢たぜい無勢ぶぜい

 

徐晃がいるとは言え、1000余騎では玉砕する他ない。

 

献帝一行は準備もそこそこに、東都洛陽に向けて逃避行を再開した。

 

しかし、天子の御車や侍従ら宮人みやびとを連れての行軍は遅々ちちとして進まない。

 

敵の軍勢はみるみる迫ってくる。

 

楊奉は天子の御車の前に駒を進め、跪いて天子に奏上した。

 

陛下、敵の軍勢がすぐ側まで迫っております。

このままでは、あと半刻はんときもすれば追いつかれ、この小勢ではたやすく賊にからられてしまいましょう。

見れば、李傕ら賊軍には周辺の無頼漢や山賊、黄巾賊こうきんぞくの残党ら下賤げせんの者が多く含まれております。

この楊奉に考えがございます。

陛下や宮人がお持ちになっておられる財宝のたぐいをこの楊奉にたまわりますれば、必ずや賊をしりぞけてご覧に入れましょう。

 

献帝が「よきに計らえ」と、楊奉の提案をお認めになると、楊奉はすぐさま後軍まで取って返し、金塊や金蘭きんらん御衣おんぞ錦織にしきおりの帯、龍紋りゅうもん玉壁ぎょくへきいにしえ典籍てんせきなどを惜しげもなく街道にぶちまけた。

 

結果として、李傕らの軍勢が財物を放り投げた場所に差し掛かるや、その道の上に兵士は群がり、「おれのだ!よこせ!」などと小競こぜり合いが始まり、挙句あげく暴動が起きた。

 

略奪や強盗を生業なりわいにしている者を味方につけたのだから仕方がない、李傕や郭汜が何を言っても暴動は収まらなかった。

 

この楊奉の機転によって、献帝一行はしばらくの時間稼ぎができたのであった。

 

挿入画像

西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫策 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 6 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 9 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 15 36 52 29
190.2 董卓、都を長安に遷す。 29 9 35 15 36 52 29
192 董卓、暗殺される。 31 11 37 17 38 54 31
193 曹操、徐州に侵攻する。 32 12 38 18 39    32
194 劉備、徐州を領する。 33 13 39 19 40   33

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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