【1日5分】あらすじ三国志57「献帝、長安を脱する」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

アイキャッチ画像 三国志

 

【1日5分】あらすじ三国志「一覧」はこちらから!

三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

スポンサーリンク

李傕陣営、崩壊

賈詡かくの献策通り、献帝けんてい李傕りかく大司馬だいしば(=軍事をあずかる長官。相国しょうこく太傅たいふに次ぐ高官。)に任じるみことのりを発し、あわせて李傕に恩賞を下賜かしした。

 

賈詡の読み通り、李傕はその恩賞の多くを巫女みこたちに分け与えた。

 

日々、郭汜かくしの軍勢と命懸けの交戦を繰り広げる将兵に褒美が与えられることもなく、逆に、思うように郭汜軍を粉砕できないことに対する理不尽な叱責ばかりが下るのであった。

 

それ故、謀反むほんが起こるのにそう時間はかからなかった。

 

李傕に対するいきどおりを募らせ、このままでは共倒れになると判断した軍官の宋果そうかは、騎都尉きとい楊奉ようほうと共に李傕暗殺を計画した。

 

宋果が李傕陣営を内部から撹乱かくらんした後に、楊奉の率いる部隊が外から突入する流れとなっていたが、事前に事が露見し、宋果は首をねられてしまった。

 

楊奉は李傕の軍勢と激しく交戦したが、散々に打ちのめされた挙句、どこぞへと落ちて行ったのであった。

 

楊奉率いる反乱軍を鎮圧して都に凱旋がいせんした李傕のおもてに、喜びの表情は全くなかった。

 

なぜなら、その日討伐したのは、もともと自分の主力部隊の一つだったからである。

 

こうして、李傕の軍はさらにその力をもがれたのであった。

 

『三国志』の感動を動画で味わうなら映画『レッドクリフ』!
映画『レッドクリフ』は、「中国映画史上、過去最高額の投資」と言われ、トニー・レオンや金城武などの名優をキャストに迎え、その壮大な戦闘シーンは『三国志』の映像作品の中では群を抜いています。この記事では、『三国志』の魅力に触れるには最も欠かすことが出来ない『レッドクリフ』の魅力を解説します。

 

スポンサーリンク

献帝、長安を脱する

時に、李傕や郭汜とともに「董卓四将軍」と呼ばれ、いまは弘農こうのう(=旧都洛陽らくようの西に位置する。記事下の地図参照。)を治めていた張済ちょうさいが軍を引き連れて長安に上洛した。

 

このまま、李傕と郭汜の同士争いが激化すれば、いずれかの諸侯が軍事介入し、自分にも害が及ぶと考えたためであった。

 

李傕と郭汜の軍は日々勃発する小競こぜり合いによる消耗戦で疲弊ひへいし、もはや張済の軍には歯が立たない。

 

張済の求めに応じて和睦する他に、両者に選択肢はなかったのである。

 

長期化した李郭●●の対立も、ここに一応の●●●和解が成立したのであった。

 

激しい戦禍せんかのために、長安は機能不全におちいり、当面の間、天子(=皇帝。)を弘農へお連れするという張済の提言が採択された。

 

弘農は、旧都洛陽とは目と鼻の先であったから、常々望郷の念をいだかれていた献帝のお喜び様は尋常ではなかった。

 

しかし、その旅路は想像を絶するほど、受難に満ちたものとなった。

 

まず、土壇場どたんばになって郭汜が弘農行きに異を唱えた。

 

そこで、李傕と張済は秘密裡ひみつりに献帝を連れ出し、月下、弘農を目指した。

 

またしても李傕に玉体ぎょくたい(=天子のお体。)を奪われた郭汜は激怒し、李傕・張済一行を猛追して華陰かいん県(=現在の陝西せんせい省華陰市。長安の東に位置する。)の辺りで総攻撃を仕掛けた。

 

しまった、追いつかれた…

 

李傕が力なくつぶやく。

 

長安で権勢を誇っていた頃の面影おもかげはない。

 

張済は動揺する兵卒を落ち着かせ、「我に続け!」と郭汜軍に突進して行く。

 

献帝は御車ぎょしゃの中でひたすら恐れおののき、皇后は献帝の膝にすがりついて落涙するばかりだった。

 

侍従じじゅうたちは御車の車輪の影に身を潜めたまま、わなわなと震えている。

 

弘農への出立に際して、天子より安集あんしゅう将軍に任じられていた董承とうしょう(=献帝の祖母董太后とうたいごうの親族の甥と言われる。)は抜刀ばっとうし、御林ぎょりん軍(=天子を警護するための軍隊。)を指揮して御車の防御を固めた。

 

長安を脱しても、なお繰り広げられる玉体の争奪戦に、献帝は涙をお流しになり、「ちんはなぜ天子として生まれてしまったのか?」とお嘆きになるのだった。

 

郭汜と張済の軍が玉体を巡って干戈かんかまじえた刹那せつな、北西の山林から銅鑼どらの音が響いた。

 

予期していない軍勢の出没に、両軍は慌てに慌てた。

 

味方の援軍か、それとも敵の援軍か?

 

そう思案しているうちにも、無数の軍馬が土煙つちけぶりを巻き起こして迫ってくる。

 

みな目を凝らして、その部隊にひるがえっているのぼりに縫われた文字を眺める。

 

大漢だいかん楊奉ようほう

楊奉だ!

楊奉の軍だ!

 

それは、味方の援軍でも敵の援軍でもなく、両軍にとって新手あらての敵だったのである。

 

楊奉とは、もともと騎都尉きといとして李傕に付き従っていた臣下であった。

 

しかし、李傕に反旗を翻すもしたたかに敗れ、その後は行方知れずとなっていた。

 

楊奉の部隊は勢いそのままに、張済と郭汜の部隊を無差別に攻撃して行く。

 

その中に、大斧を振り回してばったばったと敵兵をなぎ倒して行く武士もののふの姿があった。

 

楊奉の部隊は1000人ほどの小隊であったが、その大斧を自在に操る偉丈夫いじょうふ先駆さきがけにして、まるで鉄棒を折り曲げるかのようにして敵軍の群れに分け入って行った。

 

まず李傕が逃げた。

 

それを見た張済が全軍に撤退の号令をかけ、李傕の後を追った。

 

それに呼応するかのように、郭汜が兵を退いた。

 

楊奉は、見事、三将軍を同時に退ける大戦功を挙げたのであった。

 

挿入画像

西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫策 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 6 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 9 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 15 36 52 29
190.2 董卓、都を長安に遷す。 29 9 35 15 36 52 29
192 董卓、暗殺される。 31 11 37 17 38 54 31
193 曹操、徐州に侵攻する。 32 12 38 18 39    32
194 劉備、徐州を領する。 33 13 39 19 40   33

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました