【1日5分】あらすじ三国志5「黄巾賊との戦い1」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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劉備三兄弟、出陣する

劉備りゅうびは、義兄弟の契りを結んだ関羽かんう黄巾賊こうきんぞく討伐の檄文げきぶん(=自分の考えを述べて、他者に行動を促す文。)を書かせました。

 

これが、劉備最初の君命となりました。

 

劉備は故郷涿たく郡(=幽州ゆうしゅう記事下の地図参照。)において、すでに人望を集めていました。

 

また、やりたい放題の黄巾賊に対して憎しみを抱いている者は多く、劉備のもとへは若者がこぞって集うことになりました。

 

張世平ちょうせいへいという豪商などは劉備を見るや、その人となり(=人柄や性格。)に感銘を受け、軍馬や軍資金を融資しました。

 

張世平は、黄巾賊によって財産を掠奪りゃくだつされ、妻も娘も拉致されてしまっていたのです。

 

その深い恨みを、劉備たちに晴らして欲しいがための協力でもありました。

 

これにより、劉備は200人程度の義勇軍の結成にぎ着けたのです。

 

また、張飛ちょうひは重さ90きん(=54kg。)、長さ一丈八尺(=5m超。)の蛇矛じゃほこ・じゃぼうを、関羽は自分の背丈を超える青龍偃月刀せいりゅうえんげつとうを新調し、その生涯を閉じるまで愛用することになるのです。

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青龍偃月刀

 

涿県のある幽州ゆうしゅうでは、太守の劉焉りゅうえんが黄巾賊討伐のための兵を募っており、劉備はその求めに呼応します。

 

黄巾賊討伐、そして大漢の再興を決意し、一軍の主として頼もしく旅立つ劉備を、母は涙ながらに見送るのでした。

 

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劉備の初陣

幽州の義兵となった劉備軍は劉焉の配下鄒靖すうせいの部隊に編入され、大興山たいこうざんに潜んでいた5万の黄巾賊と戦うことになりました。

 

この頃には、劉備の兵は500人にまでふくれ上がっていました。

 

黄巾賊は農民の反乱でした。

 

兵士の数こそ膨大でしたが、兵法にけた武士もののふが率いていたわけではありません。

 

そこで、まずは張飛が大将をおびき寄せ、その武勇で一刀両断のもとに倒します。

 

大将を失い、統率を失った黄巾軍に関羽が正面から特攻を仕掛けます。

 

そして、前もって敵の後方に回り込んでいた劉備が奇襲をかけてはさみ撃ちにしました。

 

結果として、大興山の黄巾賊は、わずか一日で平定されてしまいました。

 

三兄弟はその知略と武勇を用い、初陣ういじんを勝利で飾ったのです。

 

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高希希監督『Three Kingdoms』の劉備三兄弟(左から関羽、劉備、張飛)

 

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英雄曹操との出会い

続いて、青洲せいしゅう城を包囲した黄巾賊を掃討する戦いにおいても、劉備軍は伏兵を用いて勝利を収めました。

 

連戦連勝であった劉備は、かつて涿県で儒学じゅがくや兵法を教わったことがある恩師、中郎将ちゅうろうしょう盧植ろしゅく広宗こうそう(=現在の河北かほく省。冀州きしゅう。)で張角ちょうかくの直属部隊と戦い、苦戦しているということを耳にします。

 

そこで、劉備は盧植のもとにせ参じます。

 

盧植は劉備の才能を愛していました。

 

劉備が到着すると、盧植は早速、穎川えいせん(=現在の河南かなん省。豫州。)で張角の弟張宝ちょうほう張梁ちょうりょうと戦って苦戦している朱儁しゅしゅん将軍と皇甫嵩こうほすう将軍の援軍に行くよう劉備に要請します。

 

ここでも、劉備の知謀が光ります。

 

劉備は、兵士たちの背中に複数の松明たいまつを装着させ、点火します。

 

そして、大音量の銅鑼どらの音をとどろかせ、さも大軍が押し寄せているように、黄巾賊に錯覚させるのでした。

 

恐れおののいた黄巾軍は戦意を喪失し、陣から出てきません。

 

そこに松明を投げ込んで一気に火攻めにした後、四散した黄巾賊を三兄弟が挟み撃ちにしたのでした。

 

この時、劉備たちとは別に、黄巾軍を追撃した部隊がありました。

 

規律が整い、炎よりも赤いよろいに身を包んだ風格のある軍隊でした。

 

貴公の奇襲作戦に乗じて、我らも黄巾賊を散々に打ち破ることができた。

 

その部隊の長と思われる人物が、劉備に礼を述べます。

 

官騎都尉かんきとい曹操そうそうあざな孟徳もうとく

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高希希監督『Three Kingdoms』の曹操

 

曹操の父曹嵩そうすうの養父曹騰そうとうは、漢の高祖こうそ(=初代皇帝。)劉邦りゅうほうに仕えた古参こさんの武士で、後に相国しょうこく(=現在の日本で言えば総理大臣。)となった曹参そうしんの子孫でした。

 

劉邦の血を引く劉備とは深い因縁いんねんで結ばれ、いずれ密接に関わることになる英雄の一人でした。

 

劉備が凱旋がいせんすると、朱儁からねぎらいの言葉は一つもありませんでした。

 

お前たちのせいで、私が釘付くぎづけにしていた黄巾賊どもが四散しさんしてしまったではないか!

 

この朱儁の言動に、張飛はいきどおります。

 

爵位しゃくいも持たない、単なる民間の義勇兵が冷遇されることは想定内であった劉備は、張飛をなだめます。

 

張飛よ、我々は褒められるために戦っているのではない。

ひとえに黄巾賊によって塗炭とたんの苦しみを強いられている民を救うために、そして大漢だいかんに報いるために戦っているのだ。

天は必ず、今日の我々の働きを見てくださっている。

だから落ち込むことはない、盧植先生のもとへ戻ろう。

 

三兄弟は心を新たにし、軍を引き返して再び盧植のもとに戻るのでした。

 

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西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫堅 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 13 14 30 7
184 黄巾の乱が起こる。 23 3 29 29 30 46 23

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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