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劉備、徐州太守となる
徐州(=現在の山東省。記事下の地図参照。)太守陶謙がにわかに危篤となった。
すでに七十を超える齢であり、また曹操が50万の大軍を引き連れて徐州を攻めたことや、自分に代わって徐州を治める者が未だに定まらない心労がたたってのことであろう。
陶謙は参謀の糜竺や陳登と謀り、三度劉備に後継者となることを要請することになった。
陶謙危篤の報が伝わると、劉備はすぐに州境にある小沛の城から駆け付けて来た。
「劉備、ただいま参上仕りました」と、劉備が恭しく述べると、陶謙は劉備を近くに召し寄せ、劉備の手を取って懇願するのだった。
玄徳(=劉備の字。)殿。
漢乱れてより久しく、禁中(=皇宮。)では天子(=皇帝。献帝のこと。)が蔑ろにされ、逆賊李傕・郭汜によって朝政は恣にされ、外では袁紹や曹操といった佞臣らが己の野心のために漢の領土を侵すことが度重なっている。
この徐州も、もはや風前の灯である。
わしはもう長くはない。
天子より託されたこの地を、そのような輩に奪われてはならない、奪われたくははないのだ。
玄徳殿、そなたは皇孫。
天子の領土を守る義務があるのではないか?
この陶謙、最後の願いである。
どうか、どうかこの徐州を導き、民を慈しんでくれ。
陶謙の目からは涙が溢れている。
その様子を、劉備の背後で見ていた陶謙の群臣からは嗚咽が漏れた。
高希希監督『Three Kingdoms』の陶謙と劉備
劉備は陶謙の手を強く握りしめながら答えた。
陶謙殿、そのような気弱なことをおっしゃってはなりません。
この劉備はいついつまでも小沛に残り、恭祖(=陶謙の字。)殿の二人のご子息を盛り立て、この徐州を万難から救ってご覧に入れます。
どうぞお心を穏やかにして、ご静養下さいますように。
陶謙は最後の力を振り絞って遺言したのか、劉備の言葉に応えることなく、それから間もなく息を引き取った。
小沛に引き上げようとする劉備を制止するように、糜竺や陳登ら徐州の群臣が劉備の前で拝礼した。
劉備殿。
どうか、主陶謙の遺言に従いまして、この徐州をお治めください!
そう言われた劉備は、「私の気持ちは陶謙殿にお伝えした通りです。危急の折は何なりとお申し付けください」と述べ、徐州城を後にしようとした。
群臣が歯痒そうに城門で見送りする中、今度は徐州の民たちが劉備の行手を遮った。
劉備様。
黄巾賊による被害や曹操による侵略、今年に入ってからの蝗害(=蝗による農作物への被害。)で民は疲弊しております。
その上、劉備様に去られては我々の希望は潰えてしまいます。
どうかこの徐州の太守となり、末永く我々を導いてください。
小沛での劉備の善政は、この徐州城下の人々にも広く知れ渡っていたのである。
「劉備様!どうか!」の声が鳴り止まない。
劉備は自分を取り囲む民衆を見回しながら、万感ここに極まるというように涙をこらえていた。
分かった。
もう申すでない。
不肖劉備、陶謙殿に代わってこの徐州をお預かり申す!
興平元(194)年、こうして劉備は、旗揚げから10年を経て、ようやく一州の主となったのであった。

蝗害、猛威を振るう
曹操の謀を恐れて、呂布はどんなに挑発されても濮陽城から撃っては出なかった。
この年、中国北部を蝗害が襲った。
いなごの大群は空を覆い、瞬く間に田畑の農作物を食い荒らしていく。
そして、全てを食べ尽くすと、無数の幼虫を残して東の州へと渡って行くのであった。
また、遅れて飛んで来たために食いあぶれたいなごの死骸が、野や山を埋め尽くしていた。
百姓は、己の食料や年貢はおろか、次の年に植える稲の苗さえも収穫できない状態だったので、当然各州では兵士たちを養って行くことが困難になった。
呂布や曹操も、その例外ではない。
呂布は肥沃な兗州を曹操から奪っていたために、危機的状況とは言え、どうにか食を繋いでいた。
しかし、遠征中の曹操軍は兵糧に事欠いた。
そこに、「劉備、徐州を領する」の報が伝えられると、徐州を我が物と考えていた曹操は怒りを露にした。
あの筵売りの劉備が。
君子(=徳の高い立派な人物。)を装ってはいるが、最初から徐州を取るつもりで陶謙に近づいたのであろう。
わしが徐州を狙っていることを承知で徐州を継ぐとは。
今すぐに徐州を取るぞ。
曹操がそう言うと、側に控えていた参謀の荀彧は「いけません」と言った。
徐州城は難攻不落。
また、いまや劉備は関羽・張飛だけではなく、徐州数万の兵を手にしました。
徐州を狙えば、必ずや長い戦となります。
兗州も取れず、徐州も取れずでは、我が軍は中原(=黄河中下流域。中国の中心。)に基盤を失いましょう。
曹操は不満そうに言った。
荀彧は中原の地図を指差して答えた。
いえ、呂布は濮陽城から撃っては出て来ないでしょう。
ここに長居をすれば、我が軍の兵糧は潰えます。
そこでです。
汝南・頴川(=現在の河南省。いずれも豫州西部で旧都洛陽に近い。)に勢力を拡大している黄巾賊の残党を倒して、ここを基盤となさいませ。
曹操は荀彧の進言を容れ、頴川地方に跋扈していた黄巾賊の残党を討伐するという大義名分のもと、領土と食糧とを賊から奪取することを目指して、進軍を開始したのであった。
西暦 | 出来事 | 年齢 | ||||||
劉備 | 孔明 | 曹操 | 孫策 | 袁紹 | 董卓 | 呂布 | ||
前202 | 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。 | |||||||
前157 | 景帝が漢の皇帝に即位する。 | |||||||
168 | 霊帝が漢の皇帝に即位する。 | 7 | 13 | 14 | 30 | 7 | ||
181 | 何氏が霊帝の皇后となる。 | 20 | 26 | 6 | 27 | 43 | 20 | |
184 | 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 | 23 | 3 | 29 | 9 | 30 | 46 | 23 |
189.5 | 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 14 | 35 | 51 | 28 |
189.9 | 少帝が廃位され、献帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 14 | 35 | 51 | 28 |
190.1 | 反董卓連合軍が結成される。 | 29 | 9 | 35 | 15 | 36 | 52 | 29 |
190.2 | 董卓、都を長安に遷す。 | 29 | 9 | 35 | 15 | 36 | 52 | 29 |
192 | 董卓、暗殺される。 | 31 | 11 | 37 | 17 | 38 | 54 | 31 |
193 | 曹操、徐州に侵攻する。 | 32 | 12 | 38 | 18 | 39 | 32 | |
194 | 劉備、徐州を領する。 | 33 | 13 | 39 | 19 | 40 | 33 |
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