【1日5分】あらすじ三国志47「呂布、兗州を奪う」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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呂布、兗州を奪う

曹操そうそう徐州じょしゅう城攻略を途中で断念し、兗州えんしゅうに帰還する馬上にあった。

 

徐州城攻略の最中、呂布りょふが曹操の拠点である兗州を攻めたからであった。

 

のような真似まねをしおって。

しかし、このような芸当は呂布にはできないはずだが・・・

 

曹操が言うと、側に控えていた荀彧じゅんいくが言いました。

 

呂布には、誰か知謀にけた者が同伴しているのかもしれません。

ご油断召されぬように。

 

兗州は全土に渡って、すでに呂布軍の勢力下にあった。

 

曹操は、曹仁そうじんに兗州全域を囲ませて呂布の退路を断つと、自身は夏侯惇かこうとん夏侯淵かこうえん楽進がくしん李典りてん悪来あくらい(=典韋てんい。)を従え、呂布が奪い取ってその居城としていた濮陽ぼくよう城を攻めた。

 

曹操は油断していた。

 

呂布は策士ではない。

丁原ていげん董卓とうたく(=いずれも呂布と親子のちぎりをわしていた。)の用心棒ようじんぼうをしていただけに過ぎぬ。

兗州を乗っ取ったはいいが、その州を守り切る知恵はない。

いずれ自壊しよう。

 

そう思って、濮陽城から数里離れた所に陣を構えるなり、曹操はすぐさま守りが手薄と考えていた西門に奇襲を掛けた。

 

しかし、最初は善戦したものの、呂布の反撃を受けて敗走した。

 

それは、まさに間一髪かんいっぱつの逃亡劇であった。

 

奇襲だったため、もとより曹操はあまり兵を連れては行かなかった。

 

反撃を受け、曹操の周りには悪来ほか数十騎が付き従うのみとなっていた。

 

次から次に追手が迫ってくる。

 

その追手は、休みなく無数の矢を放ってくる。

 

悪来は曹操を馬上から下ろして伏せさせると、自ら槍を風車のように振り回して矢を叩き落とした。

 

そして、敗残の数十騎と共に呂布の兵を撃退した。

 

そのうち、悪来の槍は歯がこぼれ、使い物にならなくなってしまった。

 

悪来は、倒した呂布軍の兵士の短刀を十数本を奪って腰に帯びた。

 

そして、再び曹操を馬上に戻し、自分は曹操の馬のくつわ(=馬の口の辺りに取り付ける馬具。)を取りながら、前方を向いたまま走った。

 

しかし、追手がまた迫ってきた。

 

悪来は従者に「敵が十歩の距離まで迫ったら教えろ」と叫んだ。

 

そして、しばらくして従者が「十歩です」と叫ぶと、悪来は後ろを振り返り、先ほど呂布の兵から奪った短刀を敵の騎兵に投擲とうてきした。

 

短刀は見事敵兵の頭部に命中し、「うぐっ」と言って馬上から転げ落ちた。

 

十歩です!

 

また従者が叫んだ。

 

悪来は再び振り返り、また短刀を追手に投げつけた。

 

こんなことが十数回行われた。

 

そのうち、追手はきびすを返していなくなってしまった。

 

大惨敗であった。

 

間違いない。

呂布には、誰か知謀に秀でた策士がいるな。

これからは慎重に計を練らねばならぬ。

 

陣に戻った曹操は、その思いを新たにした。

 

そして、「悪来がいなければ、今日この日が曹操の命日になっていたであろう」と言って、悪来を領軍りょうぐん都尉といに昇進させ、なお一層自分の側近くに置いたのであった。

 

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呂布の参謀陳宮

奇襲攻撃失敗から数日後、呂布の側で献策していた者の正体が分かった。

 

それは、陳宮ちんきゅう(=あざな公台こうだい。)であった。

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陳宮とは、その昔董卓暗殺に失敗した曹操を一度は捕らえたが、曹操の志に感銘を受けてその縄をほどき、ともに董卓を倒すことを誓って落ち延びた人物であった。

 

陳宮であれば合点がてんがいく。

しかし、陳宮が付いているとなれば、事はちと厄介やっかいだな。

 

曹操がそう嘆いていると、見張りの兵が不審な人物を捕えて連行して来た。

 

その者は、長竿ながざおを肩にもたれ掛けるようにして持ち、その竿の先端に皮をぎ取ったとりをぶら下げていた。

 

曹操が「お前は何者か?」と尋ねると、彼は目配めくばせして人払いを要求した。

 

幕舎の内部が曹操や数人の腹心だけになると、その不審者は「私は田氏でんしの密使です」と答えた。

 

田氏とは濮陽ぼくようの大富豪で、濮陽におけるあきないの元締もとじめのような存在であった。

 

そのため、濮陽の内でも指折りの実力者として君臨していた。

 

その密使が竿に吊るしていた鶏の腹を開くと、中には田氏からの密書が隠されていた。

 

呂布が濮陽の地に入ってからと言うもの、税は重く取り立てられ、民は労役に駆り出され、治安は悪化して略奪や殺人、強姦が後を断ちません。

曹操殿に勝利したのをいいことに、呂布はいま黎陽れいようの地に移り、濮陽にはわずかな兵しかおりません。

これは、天が曹操殿に与えた好機です。

ここ兗州は、もともと曹操殿の領地。

呂布から取り返すお手伝いをして差し上げます。

今夜未明までに城内を撹乱かくらんし、西門の城郭に「義」と縫われた白い大旗を挙げます。

それを合図と、城内にお入りください。

 

手痛い敗戦の後だっただけに、曹操は「おお、まさに天の助け!」と歓喜した。

 

しかし、密使が立ち去った後、参謀の劉曄りゅうようは曹操をいさめて(=目上の者の誤りを指摘して改善を促す。)言った。

 

ご主君、お気をつけなさいませ。

呂布は知恵のない男でございますが、奴の側には陳宮がおります。

この話は、あまりに都合が良すぎるのが気がかりです。

何かの罠かもしれません。

突入する部隊を3隊に分け、まず1隊を突入させ、はかりごとでないことが確認されましたら全軍を城内に入るのがよいかと。

 

曹操は劉曄の進言をれ、先鋒に夏侯淵、楽進、李典を任じ、中軍として悪来ら四将軍、自身はその真ん中で指揮を取ることにした。

 

そして、城下には夏侯惇と曹仁を残し、万全の態勢で濮陽城奪回に臨んだのであった。

 

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西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫策 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 6 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 9 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 15 36 52 29
190.2 董卓、都を長安に遷す。 29 9 35 15 36 52 29
192 董卓、暗殺される。 31 11 37 17 38 54 31
193 曹操、徐州に侵攻する。 32 12 38 18 39    32

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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