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曹操、慟哭する
徐州太守陶謙の家臣張闓に父を殺害された曹操は、人目も憚ることなく泣き叫んだ。
1日が経ち、2日が経ち、それでも曹操は慟哭をやめなかった。
そのうち、「おのれ、陶謙め。許さん!」という言葉を発し始めた。
参謀の荀彧はぴんときた。
ご主君は恨みの矛先を張闓から陶謙にすり替えようとしておられる。
ここまで慟哭をお続けになるのは、大義名分を得んがため。
徐州を取るおつもりだ。
そう勘づいた荀彧は、幕臣が多数詰めかけている時を狙って、曹操の前に進み出て進言した。
ご主君、お父君を殺めた張闓の行方は依然として分からないままです。
しかし、誅せられるべきは張闓一人のみではありません。
張闓を任命したのは、他ならぬ徐州太守の陶謙です。
これは、兗州・青州を領有する我が軍を恐れての、陶謙の暴挙の可能性もございます。
この際、宜しく陶謙を討ち、お父君の無念を晴らすべきかと存じます。
曹操が典韋を護衛として側近くに置いたと言うなら、参謀として近侍させたのはこの荀彧と言えるだろう。
曹操はこれ以後、何の決定を下すにせよ、荀彧の言を考慮に入れた。
荀彧がいなければ、後の曹操はなかったと言っても過言ではない。

曹操、徐州を攻める
初平4(193)年秋、曹操は5万の精兵を先陣にして、総勢50万の大軍で徐州に進軍した。
その知らせを聞くと、徐州太守の陶謙は激しく動揺した。
徐州城は堅固な城ではあったが、陶謙に曹操を撃退する力はない。
参謀の糜竺や陳圭らは「各地の諸侯に助けを求めてみてはどうでしょうか」と進言したので、早速早馬を走らせて南陽の袁術、冀州の袁紹、そして北平の公孫瓚に使いを出した。
しかし、どの諸侯も動く気配がない。
そのうち、曹操の軍は徐州にある十数城を陥落させ、男女構わず数十万の民を殺戮した。
家畜であっても無慈悲に殺したという。
その曹操軍の先鋒が、徐州城の目前に迫ってきた。
陶謙!
そなたは父曹嵩を殺した。
わしにとっては不倶戴天の敵であるぞ。
降伏すれば徐州の民に危害は加えぬ。
明日までに返答をせよ。
曹操はそう叫ぶと、後方数里の所に構えた陣営に戻っていった。
陶謙は群臣と議論を重ねた。
さすがは仁者として名高い陶謙である。
自分の首を差し出す代わりに、徐州の将兵や民衆の安泰を曹操に願い出るつもりだと、陶謙は頑なに主張した。
しかし、主君の命を差し出して、臣下が生き延びるなどということはあってはならないと、みな口々に陶謙を諫める(=目上の者の誤りを指摘して改善を促すこと。)のだった。
また、これまでの曹操軍の無慈悲な行軍の様子から、投降しても民や将兵の無事は担保されないだろうという見方が強まり、徹底抗戦する方針が固まった。
抗戦といっても、城を固く守り、遠征している曹操の兵糧が尽きるのを待つという計画だった。
翌日、曹操軍の一斉攻撃が始まった。
霹靂車と呼ばれる、てこの原理を利用して城郭目掛けて岩石を投擲する車が、ゆっくりと徐州城に向けて歩みを進める。
霹靂車がピタリと止まると、無数の岩石が高高度で飛来し、徐州城の城郭に置かれた弩弓手隊や城郭を無差別に攻撃した。
今度はその霹靂車の間をすり抜けるように、雲梯車と呼ばれる梯子車が城壁に向かって進んでいく。
雲梯車が城下まで辿り着くと、曹操は鞘から剣をゆっくり抜き出して天高く掲げると、「突撃だ!」と大喝した。
曹操の精兵1万が一斉に突撃していく。
徐州兵も熱湯を浴びせたり、投石や弓矢で激しく応戦したので、徐州城下には曹操軍の兵士の屍が死屍累々転がっているという有様だった。
しかし、半刻も過ぎた頃になると、曹操軍の兵士が城郭の頂に登り詰める者もちらほら現れ始めた。
「この戦、勝った」と、曹操は思った。
兵糧に不安を抱える曹操は、短期決戦に望みをかけていた。
そのため、この突撃に全てを掛けていたのであった。
その時である。
徐州城の西北から、突如として押し寄せて来た軍勢があった。
土煙を上げながら、二千から三千ほどと思われるその軍隊は、城下にひしめく曹操軍を蹴散らし始めた。
やや!
あれはなんだ?
曹操は唸った。
そして、周りの家臣に尋ねた。
あれはどこの部隊だ。
早く調べさせろ。
しばらくして斥候が戻って来ると、その者は「旗印には「劉」の文字が見えます」と息を切らしながら答えた。
劉・・・
劉備か!?
徐州を攻める先陣は曹操の精兵であった。
しかし、その精兵がみるみるうちにこの新手の部隊に押されていくのであった。
それもそのはず、この援軍が真に劉備の軍であれば、そこには劉備の義兄弟であり、一騎当千の武将関羽と張飛が含まれていなければならない。
並の将兵では歯が立たないのも、無理はないのだ。
曹操は呟いた。
側にいた曹仁が「撤退ですか?」と尋ねた。
すると曹操は、今度は怒号を挙げて撤退を告げた。
曹操はこの日、あと一歩のところで、徐州城攻略に失敗したのであった。
西暦 | 出来事 | 年齢 | ||||||
劉備 | 孔明 | 曹操 | 孫策 | 袁紹 | 董卓 | 呂布 | ||
前202 | 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。 | |||||||
前157 | 景帝が漢の皇帝に即位する。 | |||||||
168 | 霊帝が漢の皇帝に即位する。 | 7 | 13 | 14 | 30 | 7 | ||
181 | 何氏が霊帝の皇后となる。 | 20 | 26 | 6 | 27 | 43 | 20 | |
184 | 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 | 23 | 3 | 29 | 9 | 30 | 46 | 23 |
189.5 | 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 14 | 35 | 51 | 28 |
189.9 | 少帝が廃位され、献帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 14 | 35 | 51 | 28 |
190.1 | 反董卓連合軍が結成される。 | 29 | 9 | 35 | 15 | 36 | 52 | 29 |
190.2 | 董卓、都を長安に遷す。 | 29 | 9 | 35 | 15 | 36 | 52 | 29 |
192 | 董卓、暗殺される。 | 31 | 11 | 37 | 17 | 38 | 54 | 31 |
193 | 曹操、徐州に侵攻する。 | 32 | 12 | 38 | 18 | 39 | 32 |
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