【1日5分】あらすじ三国志45「曹操、徐州を攻める」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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曹操、慟哭する

徐州じょしゅう太守陶謙とうけんの家臣張闓ちょうがいに父を殺害された曹操そうそうは、人目もはばかることなく泣き叫んだ。

 

1日が経ち、2日が経ち、それでも曹操は慟哭どうこくをやめなかった。

 

そのうち、「おのれ、陶謙め。許さん!」という言葉を発し始めた。

 

参謀の荀彧じゅんいくはぴんときた。

 

ご主君は恨みの矛先ほこさきを張闓から陶謙にすり替えようとしておられる。

ここまで慟哭をお続けになるのは、大義名分を得んがため。

徐州を取るおつもりだ。

 

そう勘づいた荀彧は、幕臣が多数詰めかけている時を狙って、曹操の前に進み出て進言した。

 

ご主君、お父君ちちぎみあやめた張闓の行方は依然として分からないままです。

しかし、ちゅうせられるべきは張闓一人のみではありません。

張闓を任命したのは、他ならぬ徐州太守の陶謙です。

これは、兗州えんしゅう青州せいしゅうを領有する我が軍を恐れての、陶謙の暴挙の可能性もございます。

この際、よろしく陶謙を討ち、お父君の無念を晴らすべきかと存じます。

 

曹操が典韋てんいを護衛として側近くに置いたと言うなら、参謀として近侍きんじさせたのはこの荀彧と言えるだろう。

 

曹操はこれ以後、何の決定を下すにせよ、荀彧の言を考慮に入れた。

 

荀彧がいなければ、後の曹操はなかったと言っても過言ではない。

 

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曹操、徐州を攻める

初平4(193)年秋、曹操は5万の精兵を先陣にして、総勢50万の大軍で徐州に進軍した。

 

その知らせを聞くと、徐州太守の陶謙は激しく動揺した。

 

徐州城は堅固な城ではあったが、陶謙に曹操を撃退する力はない。

 

参謀の糜竺びじく陳圭ちんけいらは「各地の諸侯に助けを求めてみてはどうでしょうか」と進言したので、早速早馬を走らせて南陽なんよう袁術えんじゅつ冀州きしゅう袁紹えんしょう、そして北平ほくへい公孫瓚こうそんさんに使いを出した。

 

しかし、どの諸侯も動く気配がない。

 

そのうち、曹操の軍は徐州にある十数城を陥落かんらくさせ、男女構わず数十万の民を殺戮さつりくした。

 

家畜であっても無慈悲むじひに殺したという。

 

その曹操軍の先鋒が、徐州城の目前に迫ってきた。

 

陶謙!

そなたは父曹嵩そうすうを殺した。

わしにとっては不倶戴天ふぐたいてんの敵であるぞ。

降伏すれば徐州の民に危害は加えぬ。

明日までに返答をせよ。

 

曹操はそう叫ぶと、後方数里の所に構えた陣営に戻っていった。

 

陶謙は群臣と議論を重ねた。

 

さすがは仁者として名高い陶謙である。

 

自分の首を差し出す代わりに、徐州の将兵や民衆の安泰を曹操に願い出るつもりだと、陶謙はかたくなに主張した。

 

しかし、主君の命を差し出して、臣下が生き延びるなどということはあってはならないと、みな口々に陶謙をいさめる(=目上の者の誤りを指摘して改善を促すこと。)のだった。

 

また、これまでの曹操軍の無慈悲な行軍の様子から、投降しても民や将兵の無事は担保されないだろうという見方が強まり、徹底抗戦する方針が固まった。

 

抗戦といっても、城を固く守り、遠征している曹操の兵糧が尽きるのを待つという計画だった。

 

挿入画像

 

翌日、曹操軍の一斉攻撃が始まった。

 

霹靂車へきれきしゃと呼ばれる、てこ●●の原理を利用して城郭目掛けて岩石を投擲とうてきする車が、ゆっくりと徐州城に向けて歩みを進める。

 

霹靂車がピタリと止まると、無数の岩石が高高度こうこうどで飛来し、徐州城の城郭に置かれた弩弓手隊どきゅうしゅたいや城郭を無差別に攻撃した。

 

今度はその霹靂車の間をすり抜けるように、雲梯車うんていしゃと呼ばれる梯子はしご車が城壁に向かって進んでいく。

 

雲梯車が城下まで辿たどり着くと、曹操はさやから剣をゆっくり抜き出して天高く掲げると、「突撃だ!」と大喝だいかつした。

 

曹操の精兵1万が一斉に突撃していく。

 

徐州兵も熱湯を浴びせたり、投石や弓矢で激しく応戦したので、徐州城下には曹操軍の兵士のしかばね死屍累々ししるいるい転がっているという有様だった。

 

しかし、半刻はんときも過ぎた頃になると、曹操軍の兵士が城郭の頂に登り詰める者もちらほら現れ始めた。

 

「このいくさ、勝った」と、曹操は思った。

 

兵糧ひょうろうに不安を抱える曹操は、短期決戦に望みをかけていた。

 

そのため、この突撃に全てを掛けていたのであった。

 

その時である。

 

徐州城の西北から、突如として押し寄せて来た軍勢があった。

 

土煙つちけむりを上げながら、二千から三千ほどと思われるその軍隊は、城下にひしめく曹操軍を蹴散けちらし始めた。

 

やや!

あれはなんだ?

 

曹操はうなった。

 

そして、周りの家臣に尋ねた。

 

あれはどこの部隊だ。

早く調べさせろ。

 

しばらくして斥候せっこうが戻って来ると、その者は「旗印には「りゅう」の文字が見えます」と息を切らしながら答えた。

 

劉・・・

劉備りゅうびか!?

 

徐州を攻める先陣は曹操の精兵であった。

 

しかし、その精兵がみるみるうちにこの新手の部隊に押されていくのであった。

 

それもそのはず、この援軍が真に劉備の軍であれば、そこには劉備の義兄弟であり、一騎当千の武将関羽かんう張飛ちょうひが含まれていなければならない。

 

並の将兵では歯が立たないのも、無理はないのだ。

 

曹操はつぶやいた。

 

撤退だ。

 

側にいた曹仁そうじんが「撤退ですか?」と尋ねた。

 

すると曹操は、今度は怒号どごうを挙げて撤退を告げた。

 

曹操はこの日、あと一歩のところで、徐州城攻略に失敗したのであった。

 

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西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫策 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 6 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 9 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 15 36 52 29
190.2 董卓、都を長安に遷す。 29 9 35 15 36 52 29
192 董卓、暗殺される。 31 11 37 17 38 54 31
193 曹操、徐州に侵攻する。 32 12 38 18 39    32

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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