【1日5分】あらすじ三国志44「曹操、父を殺される」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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曹操、士を募る

李傕りかく董卓とうたくの旧臣が朝廷を牛耳ぎゅうじっていた頃、反董卓連合をいち早く脱退した曹操そうそう兗州えんしゅうにいた。

 

この地で富国強兵に努め、優秀な人材を広く募っていた。

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董卓を暗殺しようとしたことや、反董卓連合では参謀を務めていたことなどは広く天下に知れ渡っていたので、漢に対する忠義の士として、曹操のもとに参ずる名士や賢人は後を絶たなかった。

 

折しも、打ち続く戦乱によって、一度は制圧された黄巾賊こうきんぞくが、またあちらこちらで蜂起ほうきし始めた。

 

朝廷でもこの黄巾賊の再拡大を由々ゆゆしき事態と考え、各地の諸侯にみことのりを発して討伐を命じた。

 

兗州にいる曹操にも命は下った。

 

朝廷は、討伐に先立って曹操を鎮東ちんとう将軍に任じ、青州せいしゅうにいる黄巾賊討伐を指示した。

 

資金と領土を爆発的に増やすには、やはり戦が最も効率がよかった。

 

曹操は内心、李傕らに対する反感を強めてはいたが、その実利の大きさから、めいに服して青州の黄巾賊討伐に乗り出したのであった。

 

曹操の幕閣には曹仁そうじん曹洪そうこう夏侯惇かこうとん夏侯淵かこうえん楽進がくしん李典りてん于禁うきんなどの勇将がおり、董卓との戦いで獲得した豊富な経験値がある。

 

だから、農民が主導する反乱など、いともたやすく鎮圧できるという自信があった。

 

結果として、曹操は黄巾賊を征伐したのみならず、黄巾賊の降兵30万を自軍に組み入れた。

 

曹操は青州の実質的な統治者となり、これで二州を束ねる大領主となった。

 

兗州で育成している精兵と黄巾賊の降兵30万を合わせれば、朝廷ににらみをかせることができる一大勢力となったのであった。

 

曹操が台頭すると、その威名を聞いて、また各地から優れた名士が集まって来た。

 

曹操をして「そなたは(=私。)の張子房ちょうしぼう(=漢の高祖こうそ(=初代皇帝。)劉邦りゅうほうを助けた三傑の一人。張良ちょうりょう子房しぼうあざな。)である」と言わしめた荀彧じゅんいく、その甥で兵学に優れた荀攸じゅんゆう、後に曹操の軍師となる程昱ていいく、大賢者郭嘉かくかなど、綺羅星きらぼしのごとき名士はこの時に幕閣に加わった者たちである。

 

また、時を同じくして曹操のもとに参じた者で、特筆すべきは典韋てんいであろう。

 

典韋は猛々たけだけしい風貌ふうぼうで、怪力では誰にも負けない猛者もさとして名をせ、自分の手勢500人を引き連れて曹操の家臣となった。

 

ある時、曹操の陣営が猛風に包まれ、「曹」の旗が激しく風に揺らめき、兵士5人がかりでようやく押さえ込むということがあった。

 

それでも何度か章旗は倒れそうになる。

 

倒してしまったら最後、兵士たちは罰せられてしまうので必死である。

 

そこに典韋が現れ、「任せろ」と言って右手一つで旗の柄をつかむと、ついに風が収まるまで旗を倒すことなくそこに立ち続けたのであった。

 

まさに悪来あくらいいん王朝の紂王ちゅうおうに仕えた怪力の武将。)の生まれ変わりだな・・・

 

これ以来、曹操は典韋のことを「悪来」と呼び、自分の側近くに置いてその護衛とした。

 

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曹操、父を殺される

こうして一大勢力になって基盤を手に入れた曹操は、今まで苦労をかけた父曹嵩そうすうを兗州に招くことにした。

 

曹操旗揚げ時には兗州の陳留ちんりゅうにいた曹嵩も、今は徐州じょしゅう瑯琊郡ろうやぐん隠棲いんせいしていた。

 

曹操は、泰山たいざんの太守応劭おうしょうを派遣して父曹嵩を迎えにやらせた。

 

応劭が到着すると、曹嵩は歓喜した。

 

孟徳もうとく(=曹操のあざな。)は今や兗州、青州を束ねるまでに成長した。

あれはならず者であると散々言われて来たが、やはりわしの見る目に誤りはなかったのう。

 

そう言って、すぐに兗州に出立する準備に取り掛かった。

 

隠居したとは言え、40数人の家族と100人余りの従者を引き連れての大移動であった。

 

荷馬車の数もおびただしく、その中には曹家の財産が満載されていた。

 

この動きに、徐州太守の陶謙とうけんはいち早く気がつき、この際曹嵩を歓待して、曹操とよしみを結ぼうと画策かくさくしたのであった。

 

陶謙は老いも深まり、それでいて後継ぎの息子たちも凡庸ぼんようであり、自分がこの世を去った時のことを考えての行動であった。

 

陶謙からの使者が到着すると、「州の太守ともあろうお方が、わざわざこの隠居いんきょを歓待するのは息子が偉大だからだ」と再び大いに喜び、陶謙の申し出にこころよく応じた。

 

二日二晩ふつかふたばん飲み明かし、三日目の朝になってようやく出立することになった。

 

曹嵩一行の護衛として、陶謙は臣下の張闓ちょうがいに500の守備兵を与えてその任に当たらせ、「たいらかに兗州まで送って差し上げよ」と命じた。

 

徐州の州境に近い華費かひという土地まで来ると、にわかに空が暗くなり始めた。

 

そして、ぽつりぽつりと雨粒が落ち始めたかと思うと、土砂降りの雨となった。

 

「これはたまらじ」と、張闓は古い山寺を借りてそこで一夜を明かすことにしたのであった。

 

張闓は、もと黄巾賊の残党であった。

 

俸禄ほうろくも少ないのに、なぜおれがこんな年寄りを兗州まで護衛しなければならぬのだ。

徐州に戻ったところで、何の手柄にもならない。

賊にいた頃は、腹が減れば掠奪りゃくだつして好きなものをたらふく食い、女を抱きたければ人妻であろうがさらって抱いたものを。

 

そのとき、曹嵩の家財が積まれた荷馬車の列が目についた。

 

この時、曹嵩は100輛もの荷馬車に家財を乗せて、瑯琊を出立していたのであった。

 

張闓は馴染みの伍長ごちょうを呼び寄せ、何やら耳打ちした。

 

果たして、張闓はその山寺で曹嵩や曹嵩の一族郎党を皆殺しにして家財を奪い、行方をくらませたのであった。

 

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西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫策 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 6 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 9 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 15 36 52 29
190.2 董卓、都を長安に遷す。 29 9 35 15 36 52 29
192 董卓、暗殺される。 31 11 37 17 38 54 31

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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