【1日5分】あらすじ三国志42「李傕・郭汜の反撃」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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怒れる董卓の四将軍

 

西涼せいりょう(=涼州りょうしゅう。)に逃亡していた李傕りかく郭汜かくしら董卓の旧臣から、朝廷に恩赦おんしゃを求める声明が届いた。

 

朝廷に復職していた陳宮ちんきゅうは、次のように王允おういんに進言した。

 

李傕や郭汜は董卓とうたく恩顧の寵臣ちょうしん

そのため、董卓を殺害した朝廷に対する遺恨は根深い。

一度攻めてくれば、この長安も安泰ではいられないでしょう。

それに、西涼の兵馬は10万を下りません。

ここは赦を認め、朝廷に帰属させるのが良策かと。

 

もともと李傕らの同僚であった呂布りょふも、西涼兵が暴れると始末に負えないことを知っていたため、この陳宮の言に賛成した。

 

しかし、王允は声高らかに笑ったかと思うと、一変「ならぬ!」と激しく啖呵たんかを切った。

 

奴らは董卓と同じ穴のむじな

生かしておけば、第二第三の董卓となろう。

天下万民を苦しめた罪は李儒りじゅ(=董卓の参謀。)にも劣らぬ。

李儒や董旻とうびん(=董卓の弟で、御林軍ぎょりんぐん(=宮中を警護する軍隊。)を指揮していた。)、董曠とうこう(=董卓の甥で、侍中じちゅうを務めた。)と同じように、奴らの首を長安の市中にさらさないで、どうして天下万民は心から安寧を享受できようか。

 

折しも王允は、秀才のほまれ高く、董卓の腐った亡骸なきがらにすがりついて慟哭どうこくしていた忠義の士蔡邕さいゆうを捕えて投獄し、獄中で殺してしまった。

 

こうした董卓の残党に対する、王允の徹底的な弾圧は朝廷内でも眉をひそめる者が多く、また長安に潜伏していた董卓の旧臣の激しい怨嗟えんさを招いた。

 

李傕ら四将軍のもとには、秀才で名高い賈詡かくという参謀がいた。

 

賈詡は、「万事休す」と焦燥をにじませる李傕らに献策した。

 

相国しょうこく(=現在の日本でいうところの内閣総理大臣。董卓のこと。)の率いていた郿塢びうの兵馬は温存され、ここ西涼の騎馬兵も含めれば、我が方は朝廷の軍を圧倒しております。

また、長安には相国の家来が数多く残っています。

四将軍らが連名で長安を攻めれば、必ずや彼らは呼応し、我らを城内に導きましょう。

 

四将軍は賈詡の言葉に勇気づけられた。

 

また、董卓の娘婿むすめむこ牛輔ぎゅうほも五千の兵を引き連れて合流し、四将軍はいよいよ「打倒王允」をスローガンにして、長安に進撃する意思を確固たるものにしたのだった。

 

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李傕・郭汜の反撃

李傕や郭汜、張済ちょうさい樊稠はんちょうは約15万の兵で長安に向けて進撃する決意を固めた。

 

その動きに対抗するように、長安からは奮威ふんい将軍呂布を総大将にした四将軍討伐軍が西涼に向けて出陣した。

 

しかし、討伐軍の副将に抜擢ばってきされ、先陣を務めていた李粛りしゅくは、「所詮しょせんは董卓の子飼こがいである」と李傕らを最初からあなどっていた。

 

李粛は無警戒のまま、夜半に李傕らの奇襲攻撃を受けて兵の大半を討たれ、30里後退するという失態を犯した。

 

そのため、呂布は軍法にのっとって李粛を処刑すると、自ら陣頭に立って討伐軍を指揮し、反朝廷軍の牛輔を散々に打ちのめしたのだった。

 

身の危険を感じた牛輔は軍資金を横領し、郎党の胡赤児こせきじとともに落ち延びたが、その最中胡赤児は牛輔を殺害してしまった。

 

そして、胡赤児は牛輔の首を呂布のもとに持参し、命乞いをするのだった。

 

しかし、「金銀に目がくらみ、たやすく主君を暗殺するようなならず者の命を救うには、牛輔の首だけでは足りぬ、お前の首もよこせ」と言って、呂布は一刀のもとに胡赤児を殺害してしまった。

 

王允や呂布の、こうした情け容赦のない姿勢は、四将軍ら董卓の旧臣に投降する機会を奪い、かえって「決戦あるのみ」の意思を醸成してしまったのであった。

 

呂布は敵兵を蹴散らすことにかけては天下一。

 

しかし、計略や兵法に関してはまるで造詣ぞうけいがないことを、李傕は承知していた。

 

そこで、呂布の軍が到来したら、攻めては負け、攻めては負けを繰り返して山間やまあい深くにおびき出し、そこで伏兵をもって呂布を倒そうという策謀を立てた。

 

この李傕の計略には、もう一つの目的があった。

 

朝廷軍勇猛第一の呂布を山間に誘い出して釘付くぎづけにし、その隙に張済と樊稠が長安を急襲することこそが、この作戦の本当の目的だったのである。

 

呂布は、倒しても倒しても向かってくる敵兵に困惑し、いよいよ退却して十数里後方の陣営に戻った時、遠くの方で炎上する長安城の姿を目の当たりにした。

 

呂布は思わず「やられた!」とうめき声を上げたが、時すでに遅し。

 

そこに、長安城を脱した陳宮が急いで駒を進めてきた。

 

長安はもう手遅れだ。

ここにもすぐ追手が来る。

奉先ほうせん(=呂布の字。)殿、逃げましょう!

 

呂布は陳宮のげんに従い、ともに落ち延びて捲土重来けんどちょうらいを期すのだった。

 

挿入画像

西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫策 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 6 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 9 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 14 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 15 36 52 29
190.2 董卓、都を長安に遷す。 29 9 35 15 36 52 29
192 董卓、暗殺される。 31 11 37 17 38 54 31

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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