【1日5分】あらすじ三国志30「趙雲、世に出る」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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趙雲、世に出る

立脚地を求めていた袁紹えんしょうは策謀によって冀州きしゅう(=現在の河北省中南部。記事下の地図参照。)を奪取すると、冀州の領地を折半せっぱんするという公孫瓚こうそんさんとの密約を守らず、その上公孫瓚の弟公孫越こうそんえつを殺害してしまいました。

 

公孫瓚は怒りに震え、州境しゅうざかい磐河ばんがより袁紹を攻めましたが、袁紹軍第一の武士もののふ文醜ぶんしゅうに反撃され、絶体絶命の状態となりました。

 

そこに突然、公孫瓚の盾となって文醜の槍をさえぎる者が現れました。

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眉は濃く、眼光は鋭く、まだ年少でしたが、この人ありと知られた文醜を前にしても、微塵みじんも恐れる様子はありません。

 

両者が槍を交えること七、八十ごう、そのうちに散り散りになっていた公孫瓚の兵らが集結してきました。

 

深入りしていた文醜は危険を感じ、「この勝負預けた!」と言って陣に引き返して行くのでした。

 

そなたはどこの御仁ごじんか?

 

公孫瓚が尋ねると、その者はうやうやしく礼をし、丁寧な口調で答えました。

 

はっ、私は常山じょうざん真定しんてい(=現在の河北かほく正定せいてい。)の趙雲ちょううんあざな子龍しりょうと申す者でございます。

袁紹の反董卓とうたくの旗揚げに呼応し、袁紹の軍に帯同しておりましたが、袁紹の優柔不断な行軍に見切りをつけ、故郷である常山に帰る途中でございました。

 

「そなたがいなければ、公孫家は滅んでいただろう」と、公孫瓚は趙雲に礼を述べました。

 

そして、その気があれば自分に仕えるよう求めるのでした。

 

仕えるかどうかは、すぐには決めかねますが、今は将軍の危機と存ずる。

まして、袁紹は漢の勅命ちょくめいを受けて太守を務めていた韓馥かんふくを追い出した逆賊ぎゃくぞくです。

私が必要とあれば、お力添いを致しましょう。

 

公孫瓚は陣営に戻ると、自身の所有する白い駿馬しゅんめの一つを趙雲に与え、救命の恩に報いるのでした。

 

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界橋の戦い①

槍の名手趙雲を味方につけたことで息を吹き返した公孫瓚は、翌日、陣形を整えて再び磐河まで兵を進めました。

 

「ほう、これが世に名高い白馬陣はくばじんか」と、袁紹は参謀の田豊でんぽうに向かって言いました。

 

公孫瓚はかつて勅命によって遼東りょうとうに駐屯し、漢にあらが烏桓うがん族など北方の異民族をよくしりぞけました。

 

その際、整然とした白馬による陣形で敵を圧倒したことから、公孫瓚の部隊は「白馬陣」と言われて非常に恐れられたのでした。

 

この日も中央に歩兵を並べ、その両翼に騎兵を配置する白馬陣で臨みました。

 

白馬陣は歩兵隊を前後させ、敵兵をおびき寄せた後に両翼の騎兵で挟み撃ちにする攻撃型の布陣で、公孫瓚の袁紹に対する憤怒ふんぬの現れでもありました。

 

昨日公孫瓚の味方となった趙雲でしたが、まだその素性すじょうが計り知れないという理由から前線への起用には家臣らの反対も多く、わずか500の兵を与えられたのみで、後詰ごづめとして後方に配され、臨機応変に劣勢の部隊に加勢する任務が下されました。

 

対する袁紹は、もと韓馥の臣下で、涼州で育ったことからきょう族(=中国西北の異民族。)の戦法を身につけていた麹義きくぎが先鋒に抜擢ばってきされました。

 

麹義は当然、この冀州磐河の地にも詳しく、騎馬兵の槍を遮るための楯を構えた歩兵800と、一千張の強弩きょうど(=西欧におけるボーガンのような形状をした、極めて殺傷能力の高い飛び道具。)隊を率いました。

 

中軍には騎兵隊、弩弓手どきゅうしゅ隊、槍撃そうげき隊を配し、これを大将の田豊が指揮しました。

 

公孫瓚の先鋒厳綱げんこうが撃って出ます。

 

金糸きんしで「すい」の文字が縫われたのぼり(=大将の軍を示す。)がひるがえります。

 

麹義の前軍に達するまであとわずか。

 

にじり寄ってもにじり寄っても、麹義の部隊は動きません。

 

袁紹は白馬陣を恐れておる!

者ども、突撃!

 

公孫瓚は業を煮やし、突撃命令を出しました。

 

麹義が不敵に笑います。

 

その瞬間でした。

 

放て!

 

麹義の号令が下ると、千張の強弩から一斉に無数の矢が降り注ぎました。

 

空が矢で覆われ、辺りが暗くなるほどの激しい攻撃でした。

 

公孫瓚の騎兵は次々に倒れて行きます。

 

強弩の矢による攻撃が収まると、今度は左右から銅鑼どらが鳴り響きました。

 

厳綱が見回すと、左からは顔良がんりょう、右からは文醜が攻め寄せ、白馬陣はあっという間に挟み撃ちにされてしまいました。

 

顔良は厳綱を見つけるとこれを一刀のもとに斬って捨て、併せて「帥」の幟を奪って河中に放り込んでしまいました。

 

退却!退却!

 

公孫瓚が慌てて退却すると、麹義の部隊は公孫瓚目掛けて突進して行きます。

 

公孫瓚はこれを防ごうとしますが、勢いが違います。

 

公孫瓚は前日に続き、またもや敗走する羽目になったのでした。

 

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西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫堅 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 26 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 29 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 34 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 34 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 35 36 52 29
190.2 董卓、都を長安に遷す。 29 9 35 35 36 52 29

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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