【1日5分】あらすじ三国志28「反董卓連合の破綻」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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孫堅、江東に帰る

代々皇帝に受け継がれてきた伝国璽でんこくじを手に入れた孫堅そんけんは、「いずれ時を得て帝位にき、天下に号令すべき」と程普ていふに進言され、本拠地である江東こうとうに帰る決断をしました。

 

程普は孫堅の表情からそれを感じ取り、振り返ってその場にいた者たちに向かって言いました。

 

長生きをしたければ、今ここで見聞きしたことは誰にも話すでない。

もし話せば、その首と胴体は二度と同じ所にはないと思え!

 

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高希希監督『Three Kingdoms』の孫堅

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高希希監督『Three Kingdoms』の程普

 

翌日、孫堅は急病を理由に、反董卓とうたく連合の盟主袁紹えんしょう暇乞いとまごいをしました。

 

しかし、袁紹は不敵な笑みを浮かべながら、「文台ぶんだい(=孫堅のあざな。)殿は嘘がお上手だ」と言いました。

 

なんのことですかな?

 

孫堅が怪訝けげんな表情で問うと、袁紹は、今度は厳しい口調で孫堅をこう糾弾きゅうだんしました。

 

聞いておるぞ、文台殿は昨晩、ある御殿の井戸の底から宮廷の女人とおぼしき死体を引き上げられたそうではないか。

そして、事もあろうにその女が持っていた伝国璽を着服したとか。

董卓とうたく連合軍に参加し、漢の大難を取り除こうと誓いを立てておきながら、そなたは漢の帝位を簒奪さんだつ(=無理矢理帝位を奪うこと。)するおつもりか?

 

孫堅は一瞬、言葉を失くしました。

 

孫堅の兵士の中に、袁紹と通じていた者がいたのは明らかでした。

 

しかし、孫堅は知らぬ存ぜぬを貫き通します。

 

連合軍の先鋒を任されながら、盟主の袁紹から満足に兵糧を補給してもらえずに敗戦し、忠臣祖茂そもを失った遺恨いこんが、孫堅には依然としてくすぶっていました。

 

言いがかりを言ってもらっては困る!

 

孫堅は激昂げきこうし、刀のつかに手をかけます。

 

「文台殿、やる気か?」と袁紹がニヤリとします。

 

袁紹の背後には、一騎当千の勇将顔良がんりょう文醜ぶんしゅうが控えていました。

 

顔良と文醜が孫堅の方ににじり寄ると、孫堅の背後にいた腹心の程普や黄蓋こうがい韓当かんとう周泰しゅうたいらが殺気に満ちた表情で今にも抜刀ばっとうする構えを見せました。

 

やめよ、やめよ!

 

慌てて諸侯たちが止めに入ります。

 

本初ほんしょ(=袁紹の字。)殿、そなたは連合軍の盟主であろう。

そんなに血の気にはやった行動を取られては困る。

董卓の思うつぼではないか。

文台殿がこれだけ否定なさるのであれば、伝国璽着服は何かの間違いであろう。

ささ、仲直りの杯を用意せよ!

 

この場はなんとか取りつくろうことが出来ましたが、袁紹の疑心と怒りは消えません。

 

この一悶着ひともんちゃくから一刻も経たないうちに、孫堅の陣はもぬけの殻になったのでした。

 

このことで、袁紹は孫堅が伝国璽を所有していることを確信し、即刻追手の軍隊を差し向けました。

 

孫堅は袁紹の放った軍勢から度重なる攻撃を受け、命からがら長江の北岸まで辿たどり着きます。

 

そして、長江を渡ろうとしたとき、今度は袁紹から命を受けていた荊州けいしゅう刺史しし(=州の統括者。)劉表りゅうひょうが放った雨のごとき矢を浴び、江東に逃げ帰った頃には、孫堅軍は程普や黄蓋ら、数名の腹心と十数騎が付き従うのみとなっていたのでした。

 

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反董卓連合の破綻

反董卓連合の参謀たる曹操が己の地盤を築くために連合を脱退し、今度は緒戦しょせんにおいて先鋒を務めた孫堅が伝国璽を手に入れて江東に退いた・・・

 

このことは、袁紹にとっては由々ゆゆしき事態でした。

 

袁紹は曹操とは幼なじみで、かつては曹操を「阿瞞あまん(=曹操の幼名。)」と呼んで親しく交わっていたこともありました。

 

そのため、袁紹は曹操の人並外れた度胸と才覚、底知れぬ野望を熟知していました。

 

天下に覇を唱えるという野心を持っていた袁紹は、だからこそ「曹操は宦官かんがん(=皇帝の男性秘書的役割。男性器を切除されているため、蔑視されることが多かった。)の子孫である」と曹操の家柄を見下し、事あるごとに対抗意識を燃やしてきたのでした。

 

その曹操が己の地盤固めに動いたことで、袁紹にはあせりが生じました。

 

また、人並外れた武勇を誇る孫堅が伝国璽を手に入れ、江東に帰って地盤固めに動いたことも、袁紹にはこの上なく不気味でした。

 

おれも動かねばならんのう。

 

袁紹にとって、董卓に対するいきどおりは決して漢の国を思ってのことではありませんでした。

 

自分に近しい何氏かしの血を引く少帝しょうていが即位し、己の出世の道が開けたと思った矢先、武力にものを言わせた董卓が無理矢理少帝を帝位から引きずり落とそうと画策かくさくしたことに端を発する怒りでした。

 

また、いち早く反董卓連合の檄文げきぶんを諸侯に飛ばしたのも、陳留ちんりゅうで兵を募り、旗揚げを目指している曹操に主導権を与えまいと考えたからに他なりません。

 

そこに大志はなく、すべては目先の利を求めた、打算的な行動でした。

 

代々漢の要職を歴任した家柄に生まれ、参謀の許攸きょゆう田豊でんぽう郭図かくと、一騎当千の顔良や文醜を抱え、あらゆる点において諸侯に優位的な立場にありましたが、信念という一点においては、袁紹は曹操に遠く及ばないのでした。

 

袁紹の心には、もはやどのように曹操と孫堅に対抗するかということしかありませんでした。

 

こうして、反董卓連合軍は発足してから数ヶ月で、董卓を都落ちさせた結果だけを残して瓦解がかいすることになるのでした。

 

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西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫堅 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 26 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 29 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 34 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 34 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 35 36 52 29
190.2 董卓、都を長安に遷す。 29 9 35 35 36 52 29

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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