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曹操受難
反董卓連合の猛攻に恐怖した董卓は都洛陽(=現在の河南省西部。司隷(司州)。漢の都があった。記事下の地図参照。)に火をかけ、献帝とともに、新都と定めた長安に向かっていました。
洛陽に留まる連合軍の盟主袁紹らを尻目に、曹操は1万余の兵で董卓を猛追します。
しかし、滎陽城を過ぎた山間部で呂布の伏兵に遭い、全軍総崩れの状態となりました。
曹操は呂布を目にすると、元来た滎陽城の方に、一目散に逃げ出しました。
「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」という尊称は伊達ではありません(=単なる飾りや見掛け倒しではない)。
呂布は方天戟を、さも自分の腕のように操り、曹操を守護する兵士を次々に蹴散らしていきます。
ご主君!
ご主君!
そこに、一人の武士が董卓軍の兵士をなぎ倒しながら、曹操の方に近づいてきました。
曹操の腹心夏侯淵です。
夏侯淵は手持ちの2500の兵を分割し、500の兵に曹操の護衛を命じると、自身は残りの兵でその十倍の呂布軍の猛攻を防ぐのでした。
曹操は再び滎陽城の方に急ぎますが、その途中で、今度は待ち伏せしていた滎陽の太守徐栄の軍勢に阻まれます。
これも李儒の策謀でした。
徐栄は曹操を見るや、「えいや!」と弓に矢をつがえて曹操を射殺そうとします。
徐栄の矢は曹操の右肩に命中し、曹操は馬の立て髪にうつ伏せになったまま身動きが取れなくなりました。
すると、今度はそこに夏侯惇の手勢が現れ、曹操の馬の尻を蹴飛ばして駆け出させると、自ら盾となって徐栄を迎え撃つのでした。
高希希監督『Three Kingdoms』の夏侯惇
曹操は滎陽城の外れ、大河に行手を阻まれてとうとう馬から転げ落ちます。
辺りには誰もいません。
天は我に死に場所を与えなさった。
董卓の暗殺に失敗し、陳留で決起して董卓を都落ちさせるところまで来たと言うに、実に無念である。
今ごろ袁紹は笑っておろうな。
そう言って剣を抜くと、曹操は自分の首筋にぴたりと沿わせ、一気に撫で下ろそうとしました。
兄上!
行けません、兄上!
それは曹洪の声でした。
兄上、早まってはなりません!
私などはいつ死んでも構わぬ身ですが、曹操はこの世にはなくてはならぬお方。
生きねばなりません!
生きねばなりません!
窮地に陥るたびに、この日は夏侯淵や夏侯惇、そして曹洪が助けに来ました。
大河を渡り切った後も、再び徐栄の兵に攻め立てられますが、今度は曹仁や楽進、李典が助けに入りました。
敵を撃退した彼らは、手に手を取って曹操の無事に歓喜するのでした。
思い起こせば、董卓暗殺に失敗し、逃避行の末に逮捕された時も、陳宮によって救われました。
天が生きよと言うからには、生きねばならぬのう。
しかし、私はなんと家臣に恵まれた男か。
人とは国にも優るものだ。
後の話になりますが、曹操が荀彧や郭嘉、程昱(=いずれも曹操の参謀。)などの名士を貪欲に招聘し、また敵であった関羽(=劉備の義弟。)や徐庶(=劉備の軍師。)までもを求めるなど、天下に広く人材を集めることを積極的に行なったのは、この時の経験からでした。
命からがら滎陽を脱出した曹操は、腹心らとともに河内郡(=現在の河南省。)へ向かい、再起を図るための兵馬を募るのでした。
こうして、曹操は後の「魏」建国の土台を築く準備に入るのでした。

孫堅、伝国璽を手に入れる
曹操が董卓軍に散々に打ちのめされたという一報が入ると、袁紹は「それ、見たことか!」と高笑いをしました。
わしの言うことを聞かぬから、このような痛い目を見るのだ。
勝手に逃げ帰りおって。
曹阿瞞(=「阿瞞」は曹操の幼名。曹操と袁紹は幼なじみ。)は悪童であった頃の無道がまだ抜け切れていないらしい。
なんと勝手な輩よ。
しかし、この曹操の行動以外にも、もともと一枚岩でなかった反董卓連合軍には綻びが生じ始めていました。
ある夜、長沙の太守孫堅が廃墟と化した洛陽の都を巡回し、荘厳な御殿の内部を臨検していた時のことでした。
報告!
どこからか不思議な五色の光が差しています。
その頃は野良犬の遠吠えか、女の叫び声しかしない旧都洛陽に、その兵士の報告は響き渡りました。
孫堅が行ってみると、なるほど五色の光が洛陽の雅な屋敷の軒をゆらゆらと照らしているのです。
孫堅がそう聞くと、兵士たちは「恐らく、この井戸の中からかと」と答えました。
井戸の中を調べさせると、なんとその井戸の中からは麗しい錦織の着物に身をまとった女人の死体が発見されたのでした。
きっと名のある高家の令嬢であろうその女人は、よく見ると紫金襴の袋を首に掛けていました。
袋には、金糸銀糸で瑞鳳彩雲の刺繍が施されています。
孫堅がその袋の中を検めさせると、その中には四寸四方の玉の印綬のようなものが入っていました。
なんだ、これは・・・
言われのある代物に違いあるまい。
これ、密かに程普を呼んで参れ。
腹心の程普は古今の学に通じた知恵者でした。
程普は松明の明かりでその印をよく眺めてから、畏まりながら言いました。
受命于天 |
命を天に受く・・・
私はこんな話を聞いたことがございます。
かつて荊山(=現在の湖北省南張県西部に聳える山脈。)の古人は、鳳凰が棲むという石の心部を切り出し、それを楚の文王に献上したと言います。
文王はその石を名工に磨かせ、国宝としていましたが、秦の始皇帝が楚を討伐して石を手に入れると、丞相(=現在の日本で言うところの総理大臣。)の李斯に命じて見事な玉璽に加工させ、その時に彫らせたのが、この「命を天に受く」の文字なのです。
その玉璽が、秦を打倒した大漢にも伝わり、高祖(=初代皇帝。)劉邦から現在に至るまで脈々と受け継がれてきたのです。
ご主君、これは紛れもなく伝国の玉璽でございます。
孫堅は呆気にとられ、言葉を発することが出来ませんでした。
なぜこの伝国璽が自分のもとに巡ってきたのか、その意味を推し量ることで精一杯だったのです。
その孫堅の気持ちを察するように、程普は敢えて孫堅の数歩後ろに引き下がって叩頭(=床に頭をつける最敬礼の形。)し、恭しく言いました。
ご主君、これは天からの啓示でございます。
どうか江東にお帰りになって地盤を固め、行く行く先は中原(=黄河中下流域。中国の中心。)に覇をお唱えになり、帝位に即いて天下に号令を下されるのです!
曹操が己の地盤を固める決意をしたのと同時に、孫堅もまた伝国璽を手に入れたことで、「呉」の国の土台を固める準備に取り掛かる決意をするのでした。
西暦 | 出来事 | 年齢 | ||||||
劉備 | 孔明 | 曹操 | 孫堅 | 袁紹 | 董卓 | 呂布 | ||
前202 | 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。 | |||||||
前157 | 景帝が漢の皇帝に即位する。 | |||||||
168 | 霊帝が漢の皇帝に即位する。 | 7 | 13 | 13 | 14 | 30 | 7 | |
181 | 何氏が霊帝の皇后となる。 | 20 | 26 | 26 | 27 | 43 | 20 | |
184 | 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 | 23 | 3 | 29 | 29 | 30 | 46 | 23 |
189.5 | 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 34 | 35 | 51 | 28 |
189.9 | 少帝が廃位され、献帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 34 | 35 | 51 | 28 |
190.1 | 反董卓連合軍が結成される。 | 29 | 9 | 35 | 35 | 36 | 52 | 29 |
190.2 | 董卓、都を長安に遷す。 | 29 | 9 | 35 | 35 | 36 | 52 | 29 |
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