【1日5分】あらすじ三国志21「江東の虎孫堅」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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江東の虎孫堅

初平しょへい元(190)年、数十万の兵に膨れ上がった反董卓とうたく連合軍は、董卓が専横を極める都洛陽らくよう(=現在の河南かなん省西部。司隷しれい司州ししゅう)東部。漢の都があった。記事下の地図参照。)の東に陣を構えました。

 

代々漢の三公さんこう(=司徒しと(行政の長)、太尉たいい(軍事の長。もとは「司馬しば」と言った)、司空しくう(政策立案の長)の三つの役職で、常設の官では最高位。)を務めた名門の出で、諸侯しょこうに反董卓のげきを飛ばした袁紹えんしょうが総指揮をつかさどり、その弟の袁術えんじゅつが兵糧の管理をすることになりました。

 

また、献帝けんてい勅書ちょくしょを奉じて参上した曹操そうそうが作戦参謀の任に就きました。

 

「誰か虎牢関ころうかんの董卓軍を蹴散らすものはないか?」と、袁紹は諸侯に問いました。

 

虎牢関には董卓軍きっての勇将、驍騎ぎょうき校尉こうい華雄かゆうと、丁原ていげんに仕えていた呂布りょふを寝返らせた知謀の人李粛りしゅくが派遣されていました。

 

その昔、周の穆王ぼくおうがこの地で虎を飼っていたことから、「虎牢」の名がついたと言われています。

 

ちなみに、董卓には参謀として李儒りじゅがおり、また一騎当千の武将として呂布、李傕りかく郭汜かくし、華雄が仕えていました。

 

董卓が治めていた西涼せいりょう(=現在の甘粛省。涼州りょうしゅう。)はいくさには欠かせない駿馬しゅんめの産地で、また董卓は度重なるきょう族との戦闘によって鍛え上げられた精兵を有していました。

 

満を持して参集した十八鎮諸侯といえども、意気盛んな西涼兵に先陣きって当たるのは避けたいというのが本音でした。

 

そこに、すかさず「私が先陣を務めましょう」と名乗りを上げたものがいました。

 

長沙ちょうさ(=現在の湖南こなん省の省都。荊州けいしゅう中南部。)の太守孫堅そんけんです。

 

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高希希監督『Three Kingdoms』の孫堅

 

孫堅といえば、かつて呉の国が存在していた江東こうとう(=長江下流域。)の豪族で、孫氏の兵法を著した孫武そんぶの子孫です。

 

17歳のとき、孫堅は父に連れられて、海賊が横行していた銭塘せんとう地方(=現在の浙江せっこう省。揚州ようしゅう東部。)に旅をしたことがありました。

 

日の暮れも迫った頃、孫堅が父と浜辺を歩いていると、海賊たちが交易船の荷を略奪して、山分けしているところに出くわしました。

 

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すると孫堅は恐れも知らず抜刀ばっとうして駆け出し、海賊の棟梁とうりょうを一刀両断に斬り捨てて大喝だいかつすると、賊はことごとく四散したのでした。

 

略奪された積荷の中には財宝が含まれていましたが、孫堅はそれらに手をつけることは一切なく、全て被害者のもとに返しました。

 

また、少しの礼も受け取らなかったのです。

 

このことで、江東に虎あり」と孫堅の名声はいちじるししく高まったのでした。

 

その命知らずのいくさ上手は、えん城(=現在の河南省南陽なんよう市にある。荊州けいしゅう北部。)での黄巾賊との戦いでも天下に知れ渡っていました。

 

そのため、孫堅は満場一致で虎牢関攻略の先鋒せんぽうに選出されたのでした。

 

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開戦、虎牢関の戦い

先鋒には孫堅が、そしてその後詰ごづめとして兗州えんしゅう済北さいほくの相で、袁紹より行破虜こうはりょ将軍に任命されていた鮑信ほうしんが待機していました。

 

鮑信は、董卓が洛陽に入城した際、その専横を予見して袁紹に董卓殺害を進言した人物でした。

 

決断を渋る袁紹に見切りをつけて故郷に戻り、兵を募って旗揚げの機会をうかがっていのでした。

 

血気にはやる鮑信は弟の鮑忠ほうちゅうはかって抜け駆けし、3千の兵で虎牢関に奇襲をかけました。

 

しかし、勇将華雄の手にかかって鮑忠は討死うちじにしてしまいます。

 

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高希希監督『Three Kingdoms』の華雄

 

華雄は即刻鮑忠の首を洛陽に送り、董卓は大いに喜んで華雄を都督ととくに任じ、褒美を与えたのでした。

 

出鼻でばなくじかれた孫堅軍でしたが、虎牢関攻略に向けて出陣します。

 

華雄軍の副将胡軫こしんは5千の兵で孫堅を迎え撃ちますが、孫堅の重臣程普ていふの投じた槍に貫かれて死んでしまいました。

 

その機に乗じて孫堅は虎牢関を落とそうとしますが、投石や矢の雨を浴びて兵の損害はおびただしく、やむなく後方に退きました。

 

一進一退の攻防。

 

長期戦を覚悟した孫堅は、胡軫の首を袁紹に送るとともに兵糧を催促しました。

 

「おお、さすがは孫堅!」と、直ちに兵糧を手配しようとする袁紹の耳元に、何事かささやく者がいました。

 

ご主君。

孫堅は江東の虎でございます。

孫堅が洛陽の董卓を討ち取れば、今度は狼が殺されて虎がのさばるだけのこと。

このまま孫堅を勝たせては、後のうれいとなりましょう。

いまは孫堅と董卓の兵を消耗させ、後にご主君が洛陽に攻め上がるのです。

そして、献帝の後ろ盾となって天下に号令を下すのです。

 

兼ねてより、袁紹には董卓討伐後の心算こころづもりがありました。

 

兵を募っていた曹操に先を越されてはならぬと、いち早く諸侯に董卓討伐の檄を飛ばしたのも、天下に覇を唱えるイニシアチブを取るためでした。

 

「ううむ・・・」と腕組みした袁紹は、結局孫堅に兵糧を送らなかったのです。

 

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西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫堅 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 26 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 29 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 34 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 34 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 35 36 52 29

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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