【1日5分】あらすじ三国志20「劉備、反董卓連合に加入する」|大泉洋主演『新解釈・三國志』応援企画!

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三国志
大学で中国文学を学び、長年国語の教員を勤めてきた経験を活かして、分かりやすく、簡潔に、それでいて深イイ三国志のあらすじ紹介を行っていきたいと思います! 『三国志』に興味はあるけど小説を読んだりドラマを見たりする時間はない、でも簡単なあらすじだけではもの足りない・・・。 そんな方にはぴったりです!

 

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劉備三兄弟、再び立つ

十数万の兵にのぼる反董卓はんとうたく連合軍は袁紹えんしょうを盟主として、洛陽らくよう(=現在の河南かなん省西部。司隷しれい司州ししゅう)東部。漢の都があった。記事下の地図参照。)の東に陣を構えました。

 

幕末の戊辰ぼしん戦争において、新政府軍は天皇家の御紋ごもんである菊の章旗しょうき(=にしき御旗みはた)を掲げて官軍の証とし、薩長土肥さっちょうどひなど各藩の結束は強固なものとなって兵士の士気は大いに高まりました。

 

これによって幕府軍は朝敵となり、新政府軍は破竹はちくの勢いで進軍したのでした。

 

曹操そうそうが持ち込んだ献帝けんてい勅書ちょくしょは、まさにその錦の御旗の役割を果たし、反董卓連合は朝敵の汚名を回避することになりました。

 

その頃、この連合軍の本営に向かって馬を駆る3人の武士もののふがいました。

 

一人は、見事なひげを風になびかせた身のたけ九尺(=208cm)の偉丈夫いじょうふで、まるで弦月げんげつのように大きなやいばを持つ青龍偃月刀せいりゅうえんげつとうを片手にしていました。

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高希希監督『Three Kingdoms』の関羽

 

またもう一人は、鬼神も恐れるような荒々しい風貌ふうぼうの巨漢で、重さ90きん(=54kg)、長さ一じょう八尺(=5m超)の蛇矛じゃほこ・じょぼうげていました。

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高希希監督『Three Kingdoms』の張飛

 

そして、その二人を従えて先頭を駆ける男は、たやすくは感情をはかることができない落ち着き払った眼光の持ち主で、どことなく人を惹きつける天子てんし(=皇帝。)の気を身にまとっていました。

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高希希監督『Three Kingdoms』の劉備

 

大鵬たいほうは一度飛び立てば万里をあまかける。

 

それは、まるで一羽のおおとりが羽根を羽ばたかせて飛翔するかのような行軍でした。

 

劉備りゅうび関羽かんう張飛ちょうひの三兄弟です。

 

おれがあの時、董卓を斬っていればこんなことにはならなかったのだ。

 

張飛は嘆息たんそくしながら言いました。

 

劉備三兄弟は以前、頴川えいせん(=現在の河南省中部。豫洲西部。)で黄巾賊こうきんぞくの襲撃を受けて敗走していた官軍の将である董卓を助けたことがありました。

 

助けたにもかかわらず、無礼な対応に終始した董卓を、張飛は斬って捨てようとして劉備たちに阻止されたことがあったのでした。

 

そうだな、張飛。

お前には先見せんけんめいがあるな。

 

関羽は微笑しながら張飛に答えると、今度は劉備に尋ねました。

 

兄上、我々には少しの手勢しかおりません。

袁紹たちが我らを相手にするでしょうか?

 

関羽の指摘はもっともでした。

 

黄巾賊との戦いでは、劉備三兄弟は数々の戦功を挙げましたが、結局は何の爵位も持たない義軍ということで、旗揚はたあげから終戦後まで一貫して見下される存在でした。

 

相手にはしないであろうな。

だが、あの戦いで我らは学んだ。

もう誰の下にもつかぬ。

誰の指図も受けぬ。

我らの目的は、ひとえに天子をお救いすることである。

そのためにのみ、我らは正しいと思う行動をする。

私は漢の景帝けいてい末孫ばっそん

たとえ爵位しゃくいを持たずとも、諸侯しょこうと我らはひとしく対等なのだ。

 

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劉備、反董卓連合に加入する

盟主、連合に加わりたいと申す者が来ております。

 

衛兵が伝えると、袁紹は「はて?」と言って首をかしげました。

 

反董卓連合に加われるだけの力を有している諸侯がほかにいたかしら?

 

そう考えても、目ぼしい人物の名は思いつきません。

 

「名は何と申していたか?」と、袁紹は尋ねます。

 

その者は、劉備と申しておりました。

 

曹操は、「劉備、どこかで聞いたことがある名だな」と腕を組みました。

 

袁紹はやや苛立いらだちながら。

 

「劉備」など聞いたことがないぞ。

力のない者に用はない。

足手まといは要らぬからと、さっさと追い返せ。

 

すぐに曹操がさえぎります。

 

本初ほんしょ(=袁紹のあざな。)殿、それはなりません。

私と本初殿は、実際に董卓軍の恐ろしさを知っている身。

いまは、味方は多いに越したことはありません。

それに、わざわざ参集した者を追い返していては、これから我らにくみする者は現れなくなる恐れがあります。

 

袁紹は「分かった、ではここに連れて参れ。会うだけは会おうぞ」と渋々了承したのでした。

 

劉備三兄弟が現れると、諸侯の間より失笑が漏れました。

 

しかし、その中に「玄徳げんとく(=劉備の字。)殿か!」と言う者がありました。

 

長沙ちょうさの太守孫堅そんけんです。

 

袁紹殿、かの黄巾賊の戦の折、私は朱儁しゅしゅん将軍のもとで劉備殿とは力を合わせて戦かったことがございます。

誠に知謀に優れる将軍です。

 

そういうやいなや、曹操も思い出したように言いました。

 

ああ、あの劉備殿か。

本初殿、この者は黄巾賊討伐では数々の戦功を挙げた戦巧者いくさこうしゃです。

 

続いて公孫瓚こうそんさんも、「玄徳殿とは中郎将ちゅうろうしょう盧植ろしょく将軍のもとで共に儒学と兵法を学んだ同輩で、その知略は群を抜いておりました」と述べました。

 

袁紹はまだ疑わしいといった具合に、「劉備とか申したな。官職は?」と、尋問するように劉備に尋ねます。

 

黄巾賊の乱後に天子より拝命した平原へいげん県の県令(=県を統括する官職。「県」は、現在の日本で言えば「市町」に相当するので、身分としてはそれほど高くない。安喜あんき県の県尉けんいを辞した後、黄巾賊討伐の功により改めて県令に任じられていた。)を務めております。

 

再び失笑が起こります。

 

では、そなたの出自は?

 

劉備は粛々しゅくしゅくと答えます。

 

はい、故郷涿たく県ではむしろを織っておりました。

しかし、もとを辿たどれば漢の景帝けいていの子、中山ちゅうざん靖王せいおう劉勝りゅうしょう末裔まつえい

漢の皇帝の末孫ばっそんです。

 

一同が驚きました。

 

袁紹は立腹して、皇孫を名乗る不遜ふそんとがめます。

 

なぜそんな高貴な身分の者が筵を織るのだ。

いい加減なことを述べおって。

簒奪さんだつ(=無理やり帝位を奪うこと。)を目論もくろむ気か?

 

「本初殿」と、再び曹操が割って入ります。

 

漢の皇叔こうしゅくであれば、先日の勅書と同じく我ら連合軍の大義名分が立ちます。

その実力は孫堅殿、公孫瓚殿、そしてこの曹操も認めるところです。

お願い致す。

劉備殿を第19ちん諸侯にお加えください。

 

こうして、劉備は反董卓連合軍に迎え入れられることになったのでした。

 

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西暦 出来事 年齢
劉備 孔明 曹操 孫堅 袁紹 董卓 呂布
前202 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。
前157 景帝が漢の皇帝に即位する。
168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 13 14 30 7
181 何氏が霊帝の皇后となる。 20 26 26 27 43 20
184 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 23 3 29 29 30 46 23
189.5 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 28 8 34 34 35 51 28
189.9 少帝が廃位され、献帝が即位する。 28 8 34 34 35 51 28
190.1 反董卓連合軍が結成される。 29 9 35 35 36 52 29

 

以上のあらすじは、主に吉川英治よしかわえいじ『三国志』、陳舜臣ちんしゅんしん『秘本三国志』『小説十八史略』、横山光輝よこやまみつてる『三国志』、王扶林監督『三国志演義』、高希希監督『Three Kingdoms』などをベースにしています。そのため、羅貫中らかんちゅうの『三国志演義』や陳寿ちんじゅの『正史三国志』とは内容が異なり、少なからず脚色が含まれることがあります。あらかじめ、ご了承下さい。

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