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治世の能臣、乱世の奸雄
陳留(=現在の河南省開封の東南。兗州南部。記事下の地図参照。)に到着した曹操は、ここに辿り着くまでの経緯と、反董卓の兵を起こす意思を父曹嵩に伝え、そのための軍資金を要求しました。
曹操は昔から不良たちのまとめ役を務め、青年時代は遊侠(=仁義を持って強者を退け、弱者を助けようとする気質)に耽っていました。
20代半ばという若さで洛陽北部尉(=都洛陽北部の治安維持を司る。)に就任すると、当時霊帝の寵愛を受けていた宦官(=去勢された男性官吏。)蹇碩の叔父が夜間通行の禁を犯した時、曹操は躊躇うことなくその者を捕らえて棒叩きの刑に処し、それ以降、朝廷の内外から注目されるようになりました。
曹嵩は、そのような恐れ知らず、命知らずな我が子を見てきたので、「ついにこの日が来たか」と心配にも頼もしくも思えるのでした。
曹嵩は家財の一切合切を投げ売り、曹操の軍資金として供与しました。
とは言え、曹嵩は隠居生活をしていましたので、名家と言えども大掛かりな軍隊を結成させられるだけの財力を持っていませんでした。
そのため、曹嵩は陳留の大富豪衛弘に協力を仰ぐよう、曹操に伝えます。
曹操は、もし衛弘が協力を渋った場合、事に及ぶ覚悟をしていました。
しかし、衛弘は曹操に会うなり感嘆して言いました。
かの有名な許子将(=人物の鑑定士として有名。)がそなたを見て、「曹操は治世の能臣、乱世の奸雄(=世の中が平らかに統治されているならば、優秀な臣下としてその治世に貢献し、世の中が乱れているならば、その乱れに乗じてのし上がろうとする英雄。)だ」と言った意味が分かりました。
これは素晴らしい、そなたには天下を治める気が包み込んでおる。
分かりました、十常侍が国政を恣にしてよりこの方、この世は乱れるばかり。
資金はいくらでもお出ししましょう。
そなたに漢の未来を託します。
曹操はこの衛弘の協力を得て五千の兵を募り、兵装や兵糧などの軍備を整えることができたのでした。
曹操のもとには腹心となる従兄弟の曹仁と曹洪が駆けつけ、曹操の旗下に加わりました。
曹操の父曹嵩は宦官曹謄の養子となりましたが、もとは夏侯氏の産でした。
その縁から、曹操の従兄弟である夏侯惇と夏侯淵兄弟が二千の兵を引き連れて軍に加わりました。
また、曹操を慕って李典や楽進といった武将も旗下に加わるなど、曹操に長く仕えることになる者たちが多く参集し、日に日に兵の数も増えていきました。

反董卓連合軍結成
董卓が少帝を廃し、献帝を擁立しようとしたことを批判し、董卓の報復を恐れて故郷冀州(=現在の河北省を中心とする地域。)に逃亡していた袁紹も、曹操と同じく反董卓の旗揚げをしていました。
高希希監督『Three Kingdoms』の袁紹
袁紹のもとには、さすがに代々漢の三公(=司徒(行政の長)、太尉(軍事の長。もとは「司馬」と言った)、司空(政策立案の長)の三つの役職で、常設の官では最高位。)を務めて来た名家だけあって、多くの名だたる家臣たちが集まりました。
参謀の許攸(=字は子遠)を始め、田豊、郭図、沮授、審配、一騎当千の武将である顔良と文醜などが参集し、董卓に攻撃を加える機会をうかがっていました。
イニシアチブを握るためには先に行動を起こすべきと許攸らが主張しますが、袁紹は董卓や呂布の恐ろしさを実際によく見知っています。
そのため、常に諸国の動きを気にし、反董卓の機運の高まりを待っていました。
袁紹の心を動かしたのは曹操の動向でした。
「曹操が陳留で兵を募っている」との一報が袁紹のもとにもたらされると、「曹阿瞞(=「阿瞞」は曹操の幼名。曹操と袁紹、許攸は青年期に親しく交わったことがある。)に先を越されてはならない」と、袁紹はついに反董卓の檄文(=自分の考えを述べて決起を促すための文。)を諸国に発したのでした。
初平元(190)年、袁紹の呼びかけによって、各地の諸侯たちが続々と参集してきました。
袁紹の異母弟、後将軍南陽郡の太守袁術、字は公路
冀州刺史(=州の統括者。)韓馥
予州刺史孔伷
兗州刺史劉岱
河内郡の太守王匡
陳留郡の太守張邈
東郡の太守喬瑁
長沙郡の太守孫堅、字は文台
済北の相鮑信
西涼の馬騰、字は寿成
北平郡の公孫瓚、字は伯珪など
遅れて曹操が馳せ参じ、ここに十数万の兵力に上る十八鎮諸侯が結集したのでした。
高希希監督『Three Kingdoms』の曹操
曹操の軍旗には「義」とか「忠」などの文字が見え、一際目立つ存在でした。
袁紹はやや皮肉混じりに、曹操に久闊を叙します。
いやいや、孟徳(=曹操の字。)よ。
よく参った。
そなたが来てくれれば百人力よ。
それにしても、忠義心に溢れる行軍、感服致した。
さすがは、董卓と刺し違える覚悟の持ち主であるな。
そなたの働き、期待しておるぞ。
曹操は袁紹の皮肉を全く意に介しません。
私が「忠義」の字を用いたのには理由がある。
私は諸侯の中でも、つい最近まで都洛陽にいた身である。
ここに、私はあるお方からの書状を預かって参った。
曹操は錦の書状を両手で広げ、諸侯にかざして見せます。
すると、17人の諸侯は、その1枚の書に押された印の紋章に目を奪われました。
天子(=皇帝。)の勅書である!
曹操がそう声高に宣言すると、諸侯は一瞬にして曹操の前に跪き、臣従の姿勢をとりました。
朕(=皇帝の自称。私。)、偉大なる大漢の皇道を継ぎしより、今日に至るまで計らずも国賊の専横に遭い、未だ民に恩恵を施すこと適わず、先祖の御霊に恥じ入ること久しい。
朝廷には虎狼の目光り、義憤に立ち上がる有志の者、度々現れるも惨殺の憂き目に遭う。 願わくは諸侯、宜しく国賊を討ち払い、漢の再興を果たせ。 |
この勅書は、私が都洛陽にいる時に、献帝から託されたものである。
我々は速やかに国賊董卓を討ち滅ぼし、天子を苦しみから解放して差し上げるべきである。
続いて盟主の袁紹が立ち上がり、十八鎮諸侯の前で宣言します。
ここに十八鎮諸侯が一同に会し、天子からの詔も発せられた。
董卓恐れるに足らず。
いざ、国賊董卓を討ち滅ぼそうぞ!
皇帝陛下、万歳、万歳、万万歳!
諸侯がそれぞれの陣営に戻った後、曹仁が曹操に言いました。
兄上、上手く行きましたな。
私は勅書が偽物であることがすぐに見破られるのではないかと、内心冷や冷やしておりました。
曹操は曹仁を嗜めるようにして答えます。
愚か者め。
あの勅書を本物だと心から思っている者はあの中にはおらぬ。
そこまで諸侯も馬鹿ではない。
みな、心の中では歯がみをしていたはずだ。
特に盟主の袁紹はな。
しかし、あの詔には旨味がある。
これで天子からの勅命を受けた連合軍ということで、我らは朝敵(=朝廷の敵。賊軍。)ではなくなった。
反董卓連合軍は董卓に匹敵する軍勢を有していると言っても、決して一枚岩ではない。
しかし、天子の勅命を得て、少しはまとまりがつくであろう。
決戦は近いぞ。
西暦 | 出来事 | 年齢 | ||||||
劉備 | 孔明 | 曹操 | 孫堅 | 袁紹 | 董卓 | 呂布 | ||
前202 | 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。 | |||||||
前157 | 景帝が漢の皇帝に即位する。 | |||||||
168 | 霊帝が漢の皇帝に即位する。 | 7 | 13 | 13 | 14 | 30 | 7 | |
181 | 何氏が霊帝の皇后となる。 | 20 | 26 | 26 | 27 | 43 | 20 | |
184 | 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 | 23 | 3 | 29 | 29 | 30 | 46 | 23 |
189.5 | 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 34 | 35 | 51 | 28 |
189.9 | 少帝が廃位され、献帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 34 | 35 | 51 | 28 |
190.1 | 反董卓連合軍が結成される。 | 29 | 9 | 35 | 35 | 36 | 52 | 29 |
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