【1日5分】あらすじ三国志「一覧」はこちらから!

献帝即位
董卓は丁原に仕える呂布が欲しいと考えました。
そこで、幕閣の李粛に金一袋と赤兎馬(=日に千里を駆けるという汗血馬。)を持たせ、呂布を口説かせます。
李粛の説得が功を奏し、董卓は呂布を旗下に組み入れ、二人は父子の契りを交わしました。
そして、丁原の手勢も自軍に編入し、董卓軍はさらにその脅威を増したのでした。
その噂は、すぐに朝廷の誰もが知るところになります。
高希希監督『Three Kingdoms』の董卓
満を持して、董卓は二度目の饗宴を開催し、再び文武百官を召集しました。
そして、宴もたけなわになったころ、董卓は再び少帝劉弁廃位と陳留王劉協の皇帝擁立に言及したのでした。
董卓が声高に叫びます。
起立をすれば、丁原の二の舞になるのは火を見るよりも明らかでした。
張り詰めた空気が流れます。
その場に居合わせた者たちは、董卓に睨まれまいと身動き一つしません。
すると、「待たれよ」と声を上げて起立した者がありました。
中軍校尉の袁紹です。
袁紹は何進の腹心でした。
そのため、何氏とは関わりが深く、霊帝と何太后のお子である少帝劉弁の廃位は自身の栄達にとっては不利に働きます。
董卓は袁紹をぎろっと睨みつけます。
しかし、袁紹は臆することなく続けます。
そのような国の大事を、なぜ酒の席などで討議なさるのですか?
なぜ陛下や何太后、陳留王の面前で協議なさらないのか?
これでは、国家を転覆させる陰謀を密議しているのと、なんら変わりがありません。
すんなり了承を得られると思っていたにもかかわらず、とんだ横槍に董卓は怒りを露にします。
しかも、それが年少の袁紹だったことが董卓の怒りを増幅しました。
たかだか校尉の分際で、わしに口答えをしおって。
この青二才めが。
酒の席が不服なら出て行け!
袁紹は負けじと反駁します。
いいえ、出てゆきませぬ。
代々漢の禄を食みながら、天命に逆らって廃位に賛同する者たちの顔を、しっかりこの目に焼き付けとうございます。
「貴様、董卓の剣が人を切れないと思っているのか!」と、董卓は刀の柄に手をかけます。
暴言だ!
横暴だ!
方々、いまの将軍の言を何と聞く?
袁紹は文武百官の顔を見渡しますが、董卓の剣幕の前では彼らは借りて来た猫同然でした。
それ見たことか。
誰もお主の意見には賛同してはおらぬぞ。
陳留王の方が聡明であることは周知の事実だ。
少帝廃位は、誰もが腹の中では考えていたことなのだ。
それを、わしが代弁しただけに過ぎぬ。
気に入らぬのなら出て行け。
よいか、他にも異論がある者は袁紹とともに退出せよ!
孤立無援。
袁紹の脳裏には、何進の憐れな死に様が思い浮かびます。
袁紹はそう思って、「おうよ、誰がこのような場所にいようものか!」と言って宴席を後にするのでした。
董卓が軍隊を差し向けるのは明らかでした。
そのため、袁紹はその日のうちに官職を退いて故郷である冀州に帰ってしまったのです。
董卓の怒りは収まりません。
袁渙とは、袁紹の叔父でした。
貴様の甥はおれの提言を撥ねつけて出て行きおったぞ。
袁渙よ、お前はおれの提言をいかに思うか?
是か非か、はっきり述べよ!
袁渙は声を震わせながら、「将軍の仰ることに同意いたします」と述べました。
貴公らはどうか?
賛成せぬ者はおるか?
もはや董卓に異を唱える者はいませんでした。
董卓は冀州に逃亡した袁紹を反逆罪に問い、討伐の命を出そうとします。
しかし、袁紹は名門の家柄で、袁紹の一言で各地の反董卓派が集結する恐れがありました。
そのため、董卓は不本意ながら袁紹の罪を赦し、袁紹を渤海郡(=現在の河北省滄州市。幽州南部。記事下の地図参照。)の太守に任命し、邟郷侯に封じ(=領地を与え、そこを治めさせるということ。)ました。
これにより、袁紹が一方的に董卓を恐懼して逃亡したのだという印象を各地に示したのでした。

漢のラストエンペラー献帝即位
後日、董卓は少帝を廃し、陳留王となっていた9歳の劉協を即位させます。
この劉協こそ、大漢帝国最後の皇帝である第14代献帝です。
高希希監督『Three Kingdoms』の献帝
もちろん、董卓の傀儡(=操り人形)でしかありません。
献帝即位に伴い、少帝は即日、弘農王(=「弘農」は洛陽の西隣に位置する都市。)となりました。
董卓は自らを相国(=現在の日本で言う所の内閣総理大臣。)に任じる詔を献帝に出させます。
この裁定を見ていた何太后は、泣いて劉弁の座る皇帝の玉座にしがみつき、「この席から離れてはならぬ。絶対に離れてはならぬ!」と劉弁に言い聞かせます。
しかし、董卓は劉弁を敢えて臣下の列に並ばせ、献帝の即位を見届けさせます。
この度の譲位は禅譲(=帝王が徳の高い者に帝位を譲ること。)であることを洛陽内外に示したのでした。
中国では、伝説上の帝王である堯が、世襲することなく舜に帝位を譲って国が栄えたところから、禅譲は理想的な皇位継承のモデルとされていました。
すると、一人の官吏が匕首(=短い刀。)を持って董卓に襲いかかりました。
おのれ、董卓。
朝廷を乱しおって、天誅であるぞ!
しかし、この官吏の刃先が董卓に届くころには、参謀李儒の刀がこの者の首を切っていました。
続けざまに、董卓の幕閣の者たちの複数の刃が官吏の体を貫き通していました。
鮮血があたり一面に飛び散ります。
この光景を目の当たりにした文武百官の中に、もはや董卓に逆らおうとする者はいませんでした。
ここから、相国董卓の専横が開始されるのでした。
西暦 | 出来事 | 年齢 | ||||||
劉備 | 孔明 | 曹操 | 孫堅 | 袁紹 | 董卓 | 呂布 | ||
前202 | 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。 | |||||||
前157 | 景帝が漢の皇帝に即位する。 | |||||||
168 | 霊帝が漢の皇帝に即位する。 | 7 | 13 | 13 | 14 | 30 | 7 | |
181 | 何氏が霊帝の皇后となる。 | 20 | 26 | 26 | 27 | 43 | 20 | |
184 | 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 | 23 | 3 | 29 | 29 | 30 | 46 | 23 |
189.5 | 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 34 | 35 | 51 | 28 |
189.9 | 少帝が廃位され、献帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 34 | 35 | 51 | 28 |
コメント