【1日5分】あらすじ三国志「一覧」はこちらから!

何進の死
蹇碩殺害後も、大将軍何進と十常侍ら宦官(=去勢された男性官吏。)の対立は収まりませんでした。
何進は十常侍排斥を画策しますが、その度ごとに十常侍は何太后(=何進の妹。霊帝が亡くなったため「太后」となる。何太后は「皇后」となる際、十常侍のメンバーである張譲の協力を受けており、その借りがあった。)のもとに陳情に訪れ、事なきを得るのでした。
袁紹(=何進の腹心。司隷校尉。)は何進に進言します。
こうなっては、内部から十常侍を排斥することはできないでしょう。
外部の力に頼ってみてはどうでしょうか?
高希希監督『Three Kingdoms』の袁紹
「外部の力?」と、何進は身を乗り出して尋ねます。
その頃、西涼(=涼州。記事下の地図参照。)の地には、黄巾の乱鎮圧に大功ありとして董卓将軍が刺史(=州の統括者。)となって赴任していました。
しかしその実、董卓は黄巾賊討伐後に十常侍ら宦官におもねり、多額の賄を投じて霊帝に口添えをしてもらうことで、その地位を獲得していたのでした。
それが、今や20万の兵を擁するまでに勢力を拡大していました。
また、并州刺史の丁原は一騎当千の武将呂布を従え、意気盛んでした。
袁紹は答えます。
もとより、何進にはそれ以上の方策はありません。
何進は袁紹の進言を受け入れ、董卓など諸国に台頭する武将に、十常侍殲滅の檄を飛ばした(=自分の考えを表明して、他者にも同調を促すこと。)のでした。
それを知った十常侍は焦ります。
そこで、この機に何進を殺害し、何進の計画を瓦解させることを目論みました。
皇宮のあちらこちらに兵を配置した上で、何太后をうまく丸め込んで何進を皇宮に招く詔勅を書かせたのです。
何進の側近は、何進が皇宮に参内することに激しく反対しましたが、何進は「霊帝が崩御されたばかりで妹も心細いのであろう」と、わずかな従者だけを引き連れて皇宮に向かってしまいました。
皇宮の外で待機していた袁紹ら何進の側近のもとに、黒い物体が投げ込まれます。
よく見てみると、それは恐懼と無念の表情を浮かべた何進の首でした。
袁紹は何進の首を抱き、「おのれ、十常侍!下賤の宦官どもめ。許せぬ!」と言って引き返し、軍勢を従えて舞い戻るや、皇宮に踏み入って宦官どもを誅殺してしまったのでした。

董卓入城
十常侍を殲滅するために、西涼刺史董卓や并州刺史丁原を洛陽に招聘して事に当たらせるのがよいと、袁紹は何進に進言しました。
これに反対したのが、典軍校尉の曹操でした。
高希希監督『Three Kingdoms』の曹操
曹操は董卓の野心を知っていました。
曹操は、董卓が混乱に乗じて朝政を牛耳るだろうということを予見していたのです。
しかし、身分の低い校尉の諫言(=目上の人の誤りを指摘し、改善を促すこと。)など、大将軍である何進には相手にされませんでした。
曹操の予見した通り、董卓は都洛陽城外に20万の軍勢を駐屯させて睨みをきかせ、何進と十常侍が滅ぶに及んであからさまに文武百官に号令を下そうとしたのです。
董卓は武勇に優れ、漢に敵対する羌族との戦いにおいて数々の戦功を挙げていました。
霊帝の時代には西域戊己校尉、河東太守、中郎将を歴任し、朝廷内でも一目置かれる人物でした。
その男が、今度は戦に長けた西涼20万の兵を引き連れてものを申すわけですので、誰しも恐れないわけにはいきませんでした。
高希希監督『Three Kingdoms』の董卓
ある日、董卓は酒宴を開き、半ば強制的に文武百官を招きます。
そこで、いくつかの宣言をするのです。
董卓はまず、第13代少帝劉弁を廃し、新たに霊帝と王美人の子である陳留王劉協を即位させようとします。
「少帝よりも陳留王の方が聡明で学を好み、天下を統べる器があったから」というのが少帝廃位の理由とされていますが、それは建前にすぎません。
本来の目的は、少帝の後ろ盾になっている何氏や、何氏とのつながりが深い官僚らの政治的な影響力を弱めることでした。
董卓にとっては、劉協の方が操りやすかったのです。
董卓と同じく、朝政掌握を目論んでいた丁原は、武力衝突も辞さない構えで董卓の提言に断固反対しました。
帝位は天命が定めるもの。
臣下が口出しするようなことではない。
まして、少帝(=劉弁。)陛下は先帝(=霊帝。)の正当な嫡子(=後継ぎ。)。
そなたは天命に逆らい、道理に背き、帝位を簒奪(=君主の座を力ずくで奪い取ること。)するつもりか!
丁原の批判に、董卓は怒りを露にします。
漢への忠義心から発言した私に、よもや簒奪を疑うとは…。
貴様、誰に向かってものを言っているのだ!
しかし、丁原は顔色一つ変えません。
丁原の背後には、ただものではない雰囲気を漂わせている偉丈夫が一人、刀の柄に手をかけて立っています。
董卓は、先ほどからこの男が気になって仕方ありませんでした。
参謀の李儒が董卓に耳打ちします。
洛陽に来て朝政を牛耳ることを献策したり、少帝廃位の利を董卓に述べたりしたのも、この李儒でした。
董卓は李儒の言に従い、その話はそれ切りになりましたが、董卓は酒宴の間中、丁原の側にいた男の存在が気になって仕方がなかったのでした。
西暦 | 出来事 | 年齢 | ||||||
劉備 | 孔明 | 曹操 | 孫堅 | 袁紹 | 董卓 | 呂布 | ||
前202 | 劉邦が項羽を滅ぼす。漢王朝誕生。 | |||||||
前157 | 景帝が漢の皇帝に即位する。 | |||||||
168 | 霊帝が漢の皇帝に即位する。 | 7 | 13 | 13 | 14 | 30 | 7 | |
181 | 何氏が霊帝の皇后となる。 | 20 | 26 | 26 | 27 | 43 | 20 | |
184 | 黄巾の乱が起こるも、同年鎮圧。 | 23 | 3 | 29 | 29 | 30 | 46 | 23 |
189 | 霊帝が崩御し、少帝が即位する。 | 28 | 8 | 34 | 34 | 35 | 51 | 28 |
コメント