統制的理念(=大それた無謀な目標)を持つ
『アポロ13』という実話を題材にとった映画があります。
その中で、トム・ハンクス演じる宇宙船アポロ13号の船長ジム・ラヴェルが、ホームパーティーの後、夜空にポツンと浮かんでいる月に向かって自分の親指を重ねては逸らし、重ねては逸らしを繰り返すシーンがあります。
その時、その月には、ジム・ラヴェルの同僚であり、ライバルでもあるアポロ11号の船長ニール・アームストロング船長が人類初の月面着陸を成功させ、滞在していました。
「なんで、あいつが(おれより先に)。」
ジム・ラヴェルはつぶやきます。
私の中で、非常に印象に残っているシーンです。
考えてみれば、人間は親指でたやすく隠れるような、それほど遠く、遥か彼方に行こうとしたのです。
そして、実際に行くのです。
「月に行こうとする」思考になるまでには、大それた無謀な想像力と勇気が必要です。
また、「月に行こうとする」思考から「月に行く」までの間には、それを可能にするための技術の革新と、その技術を運用するための試行錯誤の連続があったはずです。
気の遠くなるような道のりだったでしょう。
哲学者のカントによれば、人間の目標には「統制的理念」と「構成的理念」の二つがあります。
前者は「実現が難しい高次の目標」を指し、後者は「実現可能な目標」のことを指します。
もっと簡単な言葉で言えば、大それた無謀な目標と叶えられそうな目標ということです。
重要なのは、統制的理念が人間の心を動かし、構成的理念を引き上げるということです。
例えば、「この世界から戦争をなくし、平和な社会を構築したい」というのが、私たち人間に共通する統制的理念だと思います。
多くの人が口にはしませんし、同時にそんなことが可能だとは思っていませんが、戦争があるよりはない方がよいですし、平和でないよりは平和な方がよいわけですから、無意識的にも私たちは「この世界から戦争をなくし、平和な社会を構築したい」という大それた無謀な統制的理念を持っているのです。
特に、近代において敗戦を経験している私たち日本人の心には、学生時代の平和教育を通して、平和構築への意識が強く底流していると思います。
底流しているからこそ、憲法第9条改憲について、あれだけ賛否両論が巻き起こるのです。
しかし、この平和を希求する統制的理念があるからこそ、世界中で平和や民主化、軍縮を求めるデモや呼びかけが行われるのです。
この統制的理念がなければ、構成的理念の目標値は下がり、「戦争もやむなし」という恐ろしい思考が生じることもあるかもしれません。
このように、大それた無謀な目標は、叶えられそうな目標の次元を引き上げることに一役買っているのです。
だから、私たちはいつでも大それた夢を見続けた方が、必然的に叶えられる事柄は高次のものとなるのです。
あきらめない心を持つ
1970年4月、アポロ13号は月面着陸をするべく、38万4千キロ離れた月に向かってケネディ宇宙センターから発射されました。
しかし、その途中で酸素タンクが爆発し、月面着陸はおろか、地球に帰還することも危うい状況となりました。
月に行く前、ジム・ラヴェル船長はアメリカ空軍に在籍し、優秀な戦闘機パイロットでした。
訓練飛行を行っていたある夜、空母に着艦するはずが、ジムの操縦していた戦闘機の電気系統がすべてシャットダウンし、レーダーも機能せず、エンジンも停止するという事態が起きました。
万事休すという時に、海面を見てみると、発光した一筋の線が見えるのです。
それは、空母の航行によって物理的な刺激を受けた海洋性プランクトンの発光でした。
まるでジムに帰り道を知らせるかのように、一直線にです。
後にジムは、この出来事に関するインタビューで、次のように述べています。
「You never know what events are going to transpire to get you home.」
どんなことがきっかけで家に帰れるようになるか分からない。
(=どんなことが自分にとって幸せをもたらすか分からない)
どんなに最悪な状況でも、いつ何時、何が自分を救ってくれるか分かりません。
要は、諦めないことなのです。
アポロ13号は帰還するまでの十分な電力を事故によって喪失しましたが、月の遠心力を用いて地球に帰還するという目から鱗の手段で、「栄光ある失敗」の幕を閉じるのです。
最後に
大事なのは、大それた無謀な夢を持ち続けること。
そして、どんな苦境に立たされても希望を捨てないことです。
コロナ禍の影響で大変な幕開けとなった今年度ですが、目標達成のための歩みを続けましょう。
たまにで構いません、ぜひ月を見上げるようにしましょう。
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