今日の終わりに、東日本大震災に思いを致す

コラム
あの日は非番の日で、生まれて初めて経験する震度5で、エアコンの真下にいた犬が心配になって、とっさに犬をケージごとずらしたのを覚えている。‬

‪そして、漁港に襲来する津波の映像を見て、「壊滅」の文字をニュース速報で見て、お母さんを探す子どもの様子を見て、子どもを探すお母さんの様子を見て、原発が爆発して、冷却水を送れないからヘリで水をかけるなどという途方もない政府の発表を耳にして、輪番停電を伝える町内放送を聞いて、すべての店から懐中電灯と食品がなくなって、ガソリンを求める自動車の、長蛇の列ができて・・・

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発 (角川文庫)

 

新学期が始まり、余震が起こるたびに授業がストップして、幾度となく机の下に生徒を潜り込ませたりした。

 

その後、復興と原発の対処に手こずる民主党を、あれだけ票を投じた国民や、原発を推進してきたはずの自民党が批判して、国会での批判合戦が連日のように報道された。

 

なんだか学校でも、先生も生徒も、互いが互いを批判する風潮が広まっていっ

た。

 

学校に行くのが、初めて嫌だなと思った。

 

原発関連の暗いニュースを毎日見なければならなかったストレスと、世界から批判され、孤立していく日本に対する鬱屈とで、やり場のない不安と怒りを他者に向けていただけなのかもしれないが、社会的な風潮が、こうも子どもたちに影響するものなのかと、心底感じた。

 

やはり子供というものは、大人の背中を見て育つのだ。

 

だけど、それから半年後、彼らが受験を迎える頃になって、私が赴任していた学校は大学の附属高校で(大体11月頃から内部進学のための選考が本格化する時期で)、彼らが添削して欲しいと持ってきた志望理由書には、どれもこれもこういう言葉であふれていた。

 

将来は、東日本大震災で被災した人々を助けたい

 

本来なら、ほかの受験生と同じようなことを書くとオリジナリティがなくなるので、違う内容を書くように指導するのだが、今回ばかりは書き直すようには言わなかった、言えなかった。

 

嬉しかった。

 

頼もしかった。

 

ありがたいなと思った。

 

いまではひとたび災害が起こると、ボランティアを志願する人が集まりすぎて、逆に受け入れ態勢が整わないからと帰ってもらうこともあるとか。

 

あの時の子どもたちに培われたismが、いまも着実にその胸に刻まれている証拠だ。

 

日本、最高。

 

日本の若者は素晴らしいですよ。

 

東日本大震災で亡くなられた方に心からお悔やみを申し上げます。

そして、これからも加速度的に復興が進むことを心から祈願しています。

子どもたちの3.11 東日本大震災を忘れない

 

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