はじめに
読者の方から要望があり、作家を志していたころの小説を期間限定で掲載します。
小説「どこにいる ここにいる」は、いまから15年前に書いたものです。
恩師である母校の教授や教え子からも受けが良かったので、少しは見るに堪えるものになっていると思います。笑
空前絶後にお暇なときがありましたら、どうぞご覧ください!
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どこにいる ここにいる
知っているだろうか?
プレハブづたいの水は辛い。
それでも俺は
プレハブに張り付いて動かない。
俺は様々なビールの缶が
あのように臭気を放つことを知らなかった。
何よりもプレハブづたいの夏は暑い。
カベルダールの爺は
ビールは持ってきても缶は片付けない。
ナカニサルは俺を助けようとしたと言うが
今は俺の粘着のために
ある女の手と粘着して離れない。
これは愛だ。
あれは神だ。と言って
カベルダールにビールをせがんでいる。
もちろんカベルダールは缶を片付けない。
そういう人間だ。
俺はプレハブづたいの冬を知らない。
きっと誰かがやって来て
毛布を掛けてくれもするだろう。
俺はまだ
ここにいようと思うのです。
粘着
鈍色のプレハブはうっすらと月明かりを湛えている。粘着した顔の角度の具合から月は見えない。風は力こそないが冷ややかだ。冷ややかだ。
日に日に月は僕の視界に迫ってくる。冬の近づいている証拠だ。多分ぺんぺん草だろう、僕の素足を何度もかすめている。アサガオに至っては、その香の感じからもう僕の腰の辺りに巻きついて、幾輪かの花を咲かせているはずだ。
僕は誰かの掛けてくれた、恐らくは白地のベンベルグが靡きだすたびに、なんとか大胸筋から股関節のバランスで落下を防いでいた。
もうすぐ夜が明ける。しかし、粘着した顔の角度の具合から太陽は僕の前には昇らない。現れては沈むのみだ。
こんな話はめったにない。僕はプレハブに張り付いていた。最初は恐怖だった。次に怒り。最後に僕を襲ったのは、むしろ当てのない希望のほうだった。僕はプレハブに張り付いていなければ得られない事柄を探っていた。このプレハブから抜け出せるなんてことは、もう僕には超自然の現状よりも受け止めがたい事象だった。それだから、僕はもがくようには生きなかった。今ではもう僕の未来のいかなる想像も、背後にはプレハブを伴うものになっていた。現実はプレハブ越しにしか訪れない。また出来事はごく微小だ。僕には夢寐こそが現実だと思うことさえある。
信号が一本、ちょうど僕の目線の楽な高さに赤い光を点滅させている。濁った赤だ。錆びた駐車禁止の標識、映写機のように僕の一角を小刻みに照らす白熱電灯、目を瞑って、僕はそれら設置点の一ミリさえ誤ることなしに指し示すだけの自信があった。小さなことと言うかもしれない。しかし、プレハブづたいの業績には限界がある。紅葉台のプレハブの下ではなおのことだ。
こういう超常現象が起こったからには、恐らくは僕は世間から注目されるはずだと思われるかもしれない。しかし、実際のところ、人々はあまり僕には関心を示さなかった。プレハブは行きかう人や自動車を鈍く映し出す外は、本来の役割通り、どうにか物憂い世間との接触を隔しているようだった。それでも、僕は紅葉台の、言ってみればメインストリート脇のプレハブに張り付いていたので、毎日延べ200人前後の人間が往来するのを目にしなければならなかった。中には面白がって僕に声を掛ける人もいた。邪魔だと文句を言う人や、憐憫の眼差しを寄せる人・・・、立ち止まって僕に施しをする人間も気に食わないが、一瞥も呉れずに通り過ぎる人間には余計腹が立つ。それはプレハブに張り付く以前の実生活と変わるところがなかった。終日、誰一人僕のプレハブを訪れない日もあった。僕は夢を見、歌を歌い、それこそ、僕が何よりも望んでいた一部始終だった。
ある夜のこと、僕が惰眠から目を覚ますと、年のころ十九か二十歳、お下げの女の子が一人、僕のくっついているプレハブに背を靠れるでもなく膝を抱えて座っていた。彼女は泣いている人間にも増して悲しそうな顔をしていた。プレハブに張り付いてしまっては大変だ。プレハブづたいの生活なんて極力しないのに越したことはない。それは僕が一番分かっていることだ。僕は焦燥感に駆られながら、出来るだけ優しく彼女に問いかけてみた。彼女が驚いてプレハブに背中を靠れてしまわないように・・・。
「外界で何かあったのかい?」
彼女はうつむいたきり答えない。
「外界で何かあったんだね。」
僕が彼女に声を掛けるたびに、鈍色のプレハブの表面は白く花咲いたかと思うと縮こまる。紅葉台の冷え込みは厳しい。それだのに、僕は彼女に上着を掛けてやることも出来ない。プレハブづたいの人間は非力だ。僕は彼女の頭をなでてやる代わりに、泣けない彼女のために泣いてやった。もちろん、僕は彼女の悲しみのわけを知らない。しかし、外界で苦しんでいた頃のことを思い出して涙を流すなら、涙の源は同じことだ。僕の涙は粘着した顔の角度の具合から、ゆっくりと僕の鼻を掠めてから口元に凝集する。格好の悪い泣き方だ。彼女はしつこく鼻をすする僕を見上げ、僕が涙を流していることに気がつくと、ゆっくりとその手を差し出して僕の涙を拭いてくれた。僕はなぜだか寂しさを感じながら、彼女を見つめることも出来ずにただ泣き続けた。僕はひたすらに泣き続けていた。
彼女とは空間の話をよくした。彼女は空間のある芸術に救われたりしていた。それは僕も同じことだった。プレハブに張り付く以前、僕は無頼なもの書きをしていた。驚いたことに、それは彼女も同じことだった。彼女はプレハブ越しに僕と会話をした最初で最後の人だった。僕らはそのプレハブ越しに、外界で得た様々な心象風景を持ち寄っては、それらの尽くがお互いの喜怒哀楽に一致するような感覚に心を躍らせていた。僕はいつの間にか背中の辺りに空間を感じていた。プレハブとのあらゆる粘着点に、僕は以前のように確固とした安定を感じられずにいた。のみならず、僕は初めて自由な気がした。むしろ、初めて身の上の・・・、プレハブ越しの不自由を知った気がした。僕を不自由にしているのは僕を限りなく夢見させる何かだ。しかし、僕を自由にするものは、僕を限りなく退屈にさせる何かにも違いなかった。彼女は僕の不自由な身の上に気を抱いてくれている。しかし、彼女は僕の精神を毎日解放する。紅葉台に吹きすさぶ初秋の風は、プレハブに張り付いて以来初めて僕の全身を嘗め回すように翻っては昇天する。プレハブに張り付く不幸は、そのまま怪奇となって僕を世間から逸脱させる。しかし、彼女は僕をプレハブから救おうとしていた。プレハブを解かれた僕には何も残らない。傷ついては逃げ出すのみだ。そうなれば、彼女は僕から離れていく気がしてならない。僕は正直戸惑いながら、それらを天秤に掛けることもしないで取捨択一を繰り返した。僕は彼女が紅葉台を下るたびに金属臭の絶えないプレハブに苛立ちながら、そのくせプレハブに張り付いていなければ得られない充足を感じていた。それでも、僕は彼女の話す外界の隅々に、いつか空間を教えられた。僕はそれらを、もう僕の目にすることの出来なくなった外界の隅々の光景を、まるで彼女の視覚に濾過してもらうように、描いた。来る日も、そのまた来る日も、脳裏の至る所に描き続けた。あれほど抜け出せないと思っていたプレハブから、今度は転げ落ちないように全神経を集中させながら・・・。
ある日、彼女はバッグから手鏡を取り出すと、僕の顔の前に差し出して微妙に前後させたりした。おかげで、僕は久しぶりに背面に広がっている八王子の街並みを見ることが出来た。夕日はとっくに沈んでいた。紅葉台から見下ろす八王子市街にはこの季節特有の霧が低く立ち込め、デパートや高層ビルのネオンが難破船のように立ち往生する他は、何もかもが一切の消息を絶った。上空は星一つない、僕にはむしろ快晴の日だ。僕はこういう光景に何度人々を海に沈めたか分からない。
「私はこういう日が好き。水平線みたいじゃない?」
彼女は傷ついていた。僕は、僕をプレハブから解き放とうとする彼女の背中にも、いつかプレハブのようなものを感じていた。いや、彼女はプレハブを背負っていた。しかも、彼女はプレハブ越しに何本かのくいを打ち込まれていた。それは粘着するよりも過酷なことだ。濃く、しかし透き通った青い液体が、常時彼女の背中から滴るように流れ落ちている。彼女は外界に疲れていた。
彼女は自分の努力に成しえたことでさえ、時に祈りのせいにしようとした。また、彼女は人智の及ばぬ自分の過失でさえ、時に自分の祈りの少ないことを反省した。彼女ほど救われなければならない人はそういない。僕は彼女を救いきれていない神を憎んだ。いや、それでも彼女に全幅の信頼を勝ち得ている神に嫉妬していた。いや、そうではない。今すぐプレハブを脱し、外界に舞い戻って彼女を救い出すことも出来ない自分に侮蔑を感じていたのだ。・・・いつか僕は、過去に少なからず彼女を救ったに違いない彼女の信仰心を、ただただ自分の嫉妬や侮蔑に任せて批判するようになった。プレハブに張り付いたきり、あがき逃れようともしない自分を省みることもしないで、これまで彼女を救ってきた神託の一つ一つにけちをつけた。そう、彼女が僕を救うために引用したに違いない言葉の節々にまで物差しを当てたりした。・・・僕は本当に彼女を救えていただろうか?
僕らには世間から孤立した意識こそ愛の根源だった。彼女はプレハブに張り付いたために凝り固まった僕の上腕筋を擦りながら、僕がプレハブから脱する日のことを話したりした。彼女はプレハブから離れた実生活に、僕を必要としてくれた。それに引き換え、僕は彼女の苦悩を知りながら、いつまでたってもプレハブづたいに言葉を散らすのみで、彼女を実生活の孤独から解放しようとはついにしなかった。僕は彼女の最善について葛藤することがあっただろうか?ここに張り付いているために生きていられる気がしてならない時もある、どうせプレハブに張り付いていなければなかった恋だ、そう思って今ある安息以上のものを望まなかったのではないか?僕は彼女を救えていただろうか?
落下
行政代執行のあった日は、皆は知っていたのだろうか?驚かれるかもしれないが、実際のところ、僕には何の通告もされていなかった。第一、僕には何の断りもなかった。報道各社、取材陣の集まる中、僕の周りには何台もの緊急車両が色取り取りのサイレンを転がしながら、いつ始めるでもなく点呼や確認を繰り返していた。ドリルや掘削機、チェンソー、バーナー、ローラー、クレーン、ダイナマイト他諸々の道具が所々に慌ただしく用意される中、いつか現場は「何で俺たちが・・・。」、「こんな奴、このままでもいいじゃねえか。」というような怒りや倦怠の声に包まれていた。しかし、どう考えても理不尽さを感じるべきは、返す返すも僕自身のはずだった。
僕は三日前から首に掛けられて取ることの出来なかった着工祈願の観世縒りを漸く解かれたかと思うと、今度は何人かの作業服を着た男たちによって白い耐熱スーツを被せられた。彼らは僕に触れるたびにゴム手袋を付け替えた。まるで腫れ物に触れるかのようだ。その彼らの後ろには、恐らくは医者だろうか、白衣の男やナース服を着込んだ看護婦さん、また消化ホースや消火器を持った人々が恐怖の面持ちで控えていた。
「くそ野郎・・・」
吐き捨てるように誰かが言う。
「IGNITION SEQUENCE START・・・」
カウントダウンが始まった。生気のない機械音だ。またその最中、太い声の男が最終点呼を取っている。
「IGNITION!」
そういう掛け声とともに、幾人かの男たちは手に持っていた局部火炎放射器のストッパーを一斉に取り外すやいなや、僕もろともプレハブに火炎の雨霰を降らせた。耐熱スーツのためか、不思議と熱さを感じない。のみならず、恐怖のあまり目を瞑ったことで、五感のあらゆる機能は見事に封印されていた。そんな中、唯一感じたものがあるとすれば、それは不条理の一言に尽きる。僕は誰にも頼んでいない。プレハブ越しの生活に満足こそしなかったが、取り立てて抜け出したいとも思わなかった。僕は忘れかけていた実生活の煩雑さの前に、出来ることなら僕もろとも溶解してしまえばいいとさえ感じていた。僕はもう彼女を失っていた。プレハブを解かれれば、僕にはもう何も残らない。プレハブ越しにしか訪れない現実には少なからず宿命がある。・・・恐る恐る目を開けると、火炎越しの人々はまるで踊っているかのように揺らめいていた。そう、気が狂っているかのように踊り続けていた。
気が付くと、僕は担架に載せられて、救急車に収容されるところだった。僕の周りには、なぜか何人かの男たちが倒れていた。どうやら彼らはさっき僕の周りを取り囲んでいた男たちのようだった。しかし、定かではない。というのも、みな至る所に大火を背負っていたから・・・。歓声と怒声が辺りを包む。僕がくっついていたプレハブは見るも無残に溶解している。彼女と語らった頃の面影はまるでない。いつか一斉に放水が始まった。幾筋もの虹が綺麗だ。刹那、救急車の戸が閉まる。僕は、今度は窓の方に目をやると、取材陣のカメラのフラッシュが瞬く中に、一点涙を浮かべる母子が立ち尽くしていた。五才くらいだろうか、彼女は僕を睨み続けている。そして、頻りに何事か口を動かして言うのだ。もちろん、救急隊員や消防隊員に執拗にインタビューを求める記者や歓声を上げる野次馬連中の喧騒のために、彼女の声は僕までは届かない。しかし、僕には不思議とそれが何か分かった。それは人生を振り返ってみて、決して馴染みのない言葉ではなかったから・・・。
「死んじゃえ。死んじゃえ。・・・」
彼らは僕の切り離し工事のために父親を失ったのだ。
ある日、僕は病院の一室で、僕の切り離し工事を取り上げたテレビ番組を見ていた。僕は何週間か入院することになっていた。それにしても、僕をプレハブから切り離すのにも異例の人選、発明の数々、大きな挫折やなんかがあったみたいだ。第一、今回の工事責任者の徒弟などはこの工事のために夭折していた。のみならず、計画全工程で死者総数は十三人にまで達していた。僕は工事の間、気を失っていたので何も覚えていなかったが、実は工事には三時間もかかっていたみたいだった。僕の工事の模様は以下の通りナレーションされていた。
「・・・霧島は思った。このままでは危ない。バルブの調子を上げなければ・・・。すると横で見ていた陣内が口を開いた。「引火する。」振り返ると、火炎放射器担当の横田の胸には、青白い炎が猛威を振るっていた。即死だった。皮肉にも横田の娘は、その日六歳の誕生日だった。初めて父親の仕事を見ることになっていた。・・・プロジェクトZ。」
プレハブから切り離された時、僕の右腕からは基準値をはるかに上回る水飴がどろどろと力なく地面に零れ落ちた。同じように左腕からはふっくらとした玉子焼きがぼこぼことはじけ飛んで地面を転げ回った。お袋の味だ。人々は口元に手を当て、言葉もない様子だった。ちなみに、火炎放射器担当の横田などは、この燃焼する玉子焼きを浴びたために帰らぬ人となっていた。
その日の夜、ある初老の看護婦さんが僕の病室を訪れた。彼女は僕に桐の箱を手渡すなり話し始めた。
「これはね、あなたがプレハブにくっついていた時にあなたの腰に巻きついていたアサガオの蔓よ。いい?あなたは生まれ変わったの。これからはしっかり生きるのよ。」
また独りの日々が始まった。生きる代償として、いかなる業績にも寂寞の前提となる日々が始まったのだ。プレハブ越しの生活には諦めがある。単発的な幸福さえ訪れやしない。一連の傷心が習慣性を育むのだ。不幸なら不幸で統一されればいい。そうすれば、期待や挫折のたびに激しく心拍させることもなくなる。僕は看護婦さんの笑顔を見ながら、しかし少しの悔しさを感じながら、涙の溢れてくるのを必死にこらえていた。
裁判が始まった。僕は頼んでもいないことのために、なぜか僕をプレハブから取り外す工事で命を失った男たちに対する殺人罪で起訴されていた。僕の弁護士などは、僕と謁見するたびに「絶望的だ。」という言葉を繰り返すだけだった。裁判は一向に進まない。僕は黙秘権を行使し続けた。僕は、いつか誰かがこの矛盾を突いて、僕を弁護してくれるだろうと思っていた。しかし、プレハブに張り付いていた人間を擁護する者などいるはずもない。僕はとうとう口を開いた。
「僕は誰にも頼んでいないじゃないか。」
しかし、そう言うたびに、遺族や被害者の会の人々の激しい罵声を浴びた。浴び続けた。浴び続けるうちに、とうとう僕にも責任があるのではないかと思うようにさえなった。僕はそういう自分を諫めるように、小さな声でまた呟いた。
「僕はプレハブに張り付いていたかった。抜け出したいなんて考えたことは一度だってなかったんだ。」
すると、検察側は一枚の写真を提示してきた。法廷が静まり返る。それは他でもない、彼女の顔写真だった。僕は嘘をついた。裁判長はため息をつきながら、「情状酌量の余地はない。」と繰り返すのだった。僕は三年間の服役の後、面倒だからという理由で釈放された。
世の中には奇怪なことが多い。最近では、超自然な何かを生み出すのはすべて僕のせいにされた。プレハブに張り付いていた僕は、まるで魔女のように扱われた。最近判明したことだが、よく雲が魚のように見えるのも、実は遠く海域で命を落とした魚の魂がああいう風に形作っているらしいのだ。それだけでも驚きだが、Ⅹ=Y+8の関係から僕が原因であることが分かった。
そういえば、プレハブに張り付いている間、僕は重要無形文化財だった。僕を見た人々に「ああはなりたくない。」と実生活を躍起にさせること、危機感を持たせて堕落させないこと、それが僕の伝統芸能だと言われていた。先代は石川啄木、中原中也、僕はそう勝手に思い込んでいた。僕がプレハブから零れ落ちる少し前、世間は僕を重要無形文化財にするかどうかで、例のごとく勝手に論争を繰り広げていた。やっぱり僕には何の断りもなしにだ。日本政府は国会や世論調査、WHO、世界人権団体の諸反応に歩調を合わせながら協議を進めていた。不況下、政府は僕を格好の観光資源、国民の意識向上の材料と絶賛し、また各NGO・NPOは僕を可哀想だと譲らない。そんなことが何ヶ月と続いていた。しかし、僕がプレハブから零れ落ちるなり、僕はあっけなく普通の人間に舞い戻った。
プレハブから零れ落ちてからというもの、僕はプレハブに張り付いている間に目にしたことや感じたことなどを書き続けた。しかし、僕はプレハブから取り外された時に、右手の何本かの指を失っていた。また、所々にバーナーに溶け出したプレハブの金属片がうっすらと影を残していた。それどころか、水飴の抜けた右腕は著しくしぼんでいた。そのために、原稿を執筆するのには若干手間取ったりしていた。書く速さは前の半分にも満たなかった。それだから、書いている間に何度か脳裏に浮かんだフレーズを失ったりしていた。人々はこぞって僕を救ったと言う。しかし、プレハブから取り除かれた後にできた外傷ばかりが明らかに目立っていた。
紅葉台交差点第三美術館 イチナック
「サイレンのサイレン」 (「M・Nさん」) 「嘘」「空き缶」
「二十五万」はある自動車を象った精巧な工芸品だ。売約の立て札がかかっている。 |
どこにいる ここにいる
それはあるお昼の番組に、毎回健康や旬の食べ物なんかの話題を取り上げた老年向きの長寿番組に出演した時のことだった。僕は、なぜ僕がここにいるのかをよく知っていた。言われたからじゃない。しかし、なんとなく見当はつく。健康に関するコーナーが終わると、僕の出番のはずだった。僕の他、五人のゲストはみな一線で活躍してきた芸能人や政界からの引退者で構成され、観覧者だって決して若い人たちではなかった。彼らは健康改善の方策を聞くにつけ頷いたり、時には自分の不健康をゲストに招かれた医師に相談したりしていた。僕には、もちろん場違いな番組のように思われた。では、なぜ僕がこの番組に招かれたのか?それはコマーシャル明け、電話越しに身の苦情を訴えかける中年女性の言葉がすべてを了解させる。
「うちの息子がコンビニのシャッターに張り付いて離れないんです。」
・・・やはりそうかといった感じだ。なぜなら、僕はプレハブ粘着経験者として、最近ではテレビのコメンテイターを務めたり、プレハブ粘着症克服のためのコメントを求められたりすることが多かった。また、この問題に関して多くの著作を持っていた僕は、今では様々な番組から引っ張りだこだった。僕は何人かのプレハブ粘着症の権威と称する大学教授とも議論をしたり、また時には居合わせた大物タレントにも食って掛かったりした。だから、みんな面白がっているんだ。今日だってゲストはあの歌舞伎役者のTだ。
「・・・そう、じゃあ、ちょうどね、今日はここにイチナックさんがいるからね、話を聞いてもらいなさいよ。」
司会の重鎮タレントがこう言うと、僕を向いていたキャメラの赤ランプが点灯した。僕は内心面倒臭さを感じていた。僕がゲストに呼ばれるたびに聞かれるのはこのことばかりだったから・・・。僕は嗚咽を上げる中年女性に吐き捨てるようにこう言ってやった。
「ただ「信じている。」とだけ言ってあげてほしい。」
彼女は僕の言った言葉を疑い続けていた。そんな簡単なものなら相談したりなんかしないと言って聞かなかった。それどころか、彼女の息子を含めた多くの人間が粘着症を抱えるに至ったのは、そもそも僕がプレハブに張り付いたことが原因ではないのかと勝手なことを言い出す始末だ。
「いいかい?プレハブから零れ落ちるのに、本来は大掛かりな工事なんてものは必要ないんだ。いいから一言、「信じている。」とだけ言ってあげてほしい。」
僕はまたこう付け加えた。それが彼らのためかどうかなど、もちろん考えることもしないで・・・。
収録後のことだった。今まで至る所に張り付いていた何万もの人間が、一斉にそこから逃れたというのである。
僕もちょうどこの時は八王子のインターを下りて20号線を車で走っていたので、偶然にもこの光景を多く目にした。ある人はさなぎから脱皮するように天高く大空に舞い上がったり、またある人は殺虫剤をかけられたアブラムシのように、面白いように粘着地点から力無く零れ落ちたりした。その側では、恐らくは親や兄弟が向かい合って何事か言葉を掛けたりしていた。僕は僕の言った言葉にたやすく粘着から脱する人々に羨ましさを感じた。それは僕が最もその言葉を欲しているからとか、誰かに見舞ってほしいとかいう意味ではなかった。もちろん、僕の両親などはたまに僕を見舞ってはこう言うのだった。
「ごめんなさい。私たちがあの子を甘やかしたばかりに、あなたには随分窮屈な生活を押し付けてしまったわ。」
僕は両親に対しては自殺したんだ。僕は許されざる嘘をついた。僕は自分の臆病さに挫折した物事の一切を、すべて兄の放逸のせいにした。そして、自分にはその権利があると言って、親のすねをかじり続けた。水飴のたまったのはそのためだ。僕はプレハブに張り付いた第一号だった。そして、そこから抜け出した第一号とも言われた。しかし、僕は今でもプレハブを背負っている気がしてならない。自由が利かないのだ。あるはずのないプレハブが支えて喫茶店に入れないことや、ましてや家から出られないことさえある。医者の診断によれば、それは空手の一種なんだそうだ。プレハブに張り付くのも零れ落ちるのも、実際は可視的なことじゃない。生来、付いているかそうでないかだ。彼らに羨ましさを感じたのはこのためだ。
ある日、僕は20号沿いをまっすぐ歩いていた。半ば黄色い銀杏の風にそよぐ風景は、後の劇症を思わせると最早面倒臭さを感じさせるのみだった。前の方には男女が二人、肩を寄せ合いながら歩いていた。女の子の後姿は、どことなく紅葉台を下る彼女の姿を想起させる。僕は前を歩く彼らを、ついに肩を並べて歩くことのなかった僕と彼女に重ね合わせたりした。僕は視界に広がる無限の配置から、しかし一つも表現を見つけられずにいた。前の方にはまた男女が二人、肩を寄せ合いながら歩いている。驚いたことに、彼らは僕がさっき追い抜いたはずの彼らだった。僕は彼らの余程前を行っているはずだった。しかし、それは確かにさっき僕が追い抜いたはずの二人の後姿だった。・・・僕はこういう光景の中に、今度は僕の全人生を重ね合わせたりした。卑屈な精神の下では何一つ追い越せない。それからも、僕は何度彼らを追い抜き、また何度彼らを前方に捉えたか分からない。
「彼女に出会うこと以上望まないと誓ったけど、どうか今度は彼女の望みによって僕が伴われますように・・・。」
僕はまだ彼女のことを想っていた。
帰途、僕は久しぶりに紅葉台を訪れていた。プレハブに張り付く以前、ここは僕の散歩道だった。プレハブのあった一角は、僕の右手のように所々に鈍色の金属片を残していた。もう彼女と語らったあの頃の面影はない。八王子の街並みはかすんでいた。分厚い氷の中に閉ざされていた。僕はゆっくり歩き出し、水道基地や低圧電灯盤を隠した高台に足を止めた。
紅葉台から見られる僕の住むアパートは殊の外小さく捉えられていた。僕はあそこに帰るのに、自分がやはり小さくなるのを思い浮かべた。青空はうっすらと月を湛えている。それはこの数年、一度も直視することのなかった月そのものだった。僕はいつまでもその目に月を捉えながら、紅葉台を下ろうと歩き始めた。そう、低圧電灯盤の脇を通り過ぎようとした。しかし、驚いたことに、月はもう僕を追ってこようとはしなかった。僕の上空を行ったり来たり、満ち欠けするのみだ。身震いのするような過去を、その辻褄を合わせるような生活も終わった。僕はまたプレハブに張り付いていた。
雨上がりの労働の帰り道、俺はプレハブにくっついて離れない。何故そうなったのかは今は知らない。俺はプレハブにくっついた片方のほっぺたを器用に動かしながら、ビールを買ってくれた友の悪口を言う、それが日常だ。
カベルダールは老いているので、何を言っているのか訳が分からない。ナカニサルは俺のことを嫌ってはいないが、俺にはもうビールは買えない。面子以上の問題だ。
知っているだろうか?プレハブづたいの水は辛い。俺は様々なビールの缶が、あのように臭気を放つことを知らなかった。なによりもプレハブづたいの夏は暑い。それでもカベルダールは缶を片付けない。そういう人間だ。俺はプレハブづたいの冬を知らない。きっとビールの缶は臭わない。その上誰かがやって来て、毛布を掛けてくれもするだろう。
俺はまた、ここにいようと思うのです。
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