はじめに
大型連休も終わり、明日から通常勤務やリモート勤務、オンライン授業が再開されるという方も多いと思います。
4月に思いを新たにして、心機一転学業や仕事に打ち込もうと意気込んでいた矢先、新型コロナウイルス感染拡大に伴って活動が制限され、何だか肩透かしにあったような感じで士気が乱れている方もいるのではないでしょうか。中には、本来の目標を見失いかけている人もいるかもしれません。
そこで本日は、「国士無双」(=国の中に並ぶ者のない英雄)の語源となった韓信という古代中国漢の武将の生涯を紹介し、明日からの活動の動力源にしていただければと思っています。
韓信の股くぐり〜国士無双の誕生秘話
以前の記事でも、韓信のことを書きました。
韓信とは、自分を重用してくれない主君、西楚の覇王項羽を見限り、漢の高祖(=初代皇帝)劉邦に仕えて大将軍に抜擢され、斉の地を領有して劉邦と項羽に匹敵する力を持った人物です。
項羽に士官する前のこと、韓信は地元である楚・淮陰の不良に絡まれたことがありました。
その悪童は韓信が腰に帯びている剣を指さして息巻きます。
「いつも立派な剣をぶらさげやがって、お前に度胸があるならおれを刺してみろ!」
周囲の人々が見つめる中、韓信は冷ややかな目で男を睨みつけます。
ボルテージの上がった悪童は、さらに韓信を罵ります。
「もし出来ないなら、おれの股をくぐれば許してやる。」
次の瞬間、韓信は悪童の側に近づいてしゃがみ込むや否や、悪童の股ぐらをくぐり抜けたのです。
大勢の人々が嘲りの声を上げる中、韓信は何事もなかったかのようにその場を静かに去っていくのです。
男らしくなく、情けない行動に見えるかもしれませんが、後年出世した韓信はこの悪童を役人に取り立てます。
そして、次のように述懐します。
「あの時、お前を殺すのはたやすいことであった。それでもお前を殺さなかったのは、おれには誰にも譲ることのできない大志があったからだ。殺さなかったから今の栄達がある。将来、偉丈夫になる宿願を叶えることに比べたら、一時の恥を雪ぐことなど何の価値もないことだ。しかし、あの件があったからこそおれは発奮した。その感謝の印として、お前に官職を授けてやろう。」
恐縮する元悪童。
まさに、青年期の韓信の不遇と志の高さを物語る逸話です。
この後、間もなく韓信は項羽に仕えるわけですが、何年もの間、鳴かず飛ばずの状態が続きます。
韓信は、決して順風満帆に出世した英雄ではなく、屈辱を乗り越え、長い不遇の時代をくぐり抜けてようやくスターダムにのし上がった、大器晩成型の武将だったのです。
天与ふるを取らざれば、かえってその咎(め)を受く〜国士無双、究極の選択
秦の始皇帝が韓・魏・趙・燕・斉・楚の国を尽く攻略して天下統一を果たし、中央集権的な支配体制が強化されると、各地で不平不満が高まるようになりました。
始皇帝は自分の宮殿である阿房宮や陵墓(驪山陵(兵馬俑含む))、万里の長城の建設に着手し、征服した国々から人夫を強制連行します。
兵馬俑
万里の長城
また、自分の支配体制に寄与しない思想や言論の弾圧にも動き出します。
いわゆる「焚書坑儒」(=書物を燃やし、儒家の人々を穴埋めにする)です。
結果として、秦は民衆の恨みを買い、天下統一からわずか15年足らずで、項羽と劉邦によって滅ぼされるのです。
その後、今度はこの項羽と劉邦が天下分け目の大戦を繰り広げることになります。
韓信は劉邦の大将軍となり、東進する劉邦の軍勢とは別働隊として、項羽を挟み撃ちにする掎角の勢となるべく、北の大国斉の七十余城を攻略・奪取して地盤を固めます。
この時、韓信の兵力は30万にも膨れ上がっていました。
項羽を攻めあぐねていた主君劉邦から、援軍を求める使者が来ます。
その時、韓信の食客(=衣食の世話をしてもらう代わりに、自分の長所を用いて主人を助ける者)である蒯通は彼にこう耳打ちします。
「狡兎死して、走狗烹らる」
すばしっこいウサギが死ぬと、(そのウサギを狩るのに用いた)猟犬は(必要がなくなるから)釜で煮られる(運命だ)。
有名な言葉です。
韓信は天才です。
すぐにこの言葉の意味を理解します。
つまり、項羽を倒して天下を平定した劉邦には、もはや兵を統べる将軍は必要ない。
必要がないどころか、巧みに兵を操れる人間は逆に恐ろしい存在となる。
韓信は、劉邦天下統一後の身の上を案じます。
蒯通は続け様に一言、今度は強い調子で韓信に言い放ちます。
「天与ふるを取らざれば、かえってその咎(め)を受く」
天が与えた好機を逸すれば、(好機を活かせないだけではなく)かえって天罰が下される。
蒯通は、韓信に翻意を迫ったのです。
劉邦の援軍要請を拒絶し、項羽と劉邦の軍勢が消耗戦を繰り広げるのを静観し、漁夫の利を得るよう勧めたのです。
蒯通の言葉が理に適っているのは、歴史が証明しています。
援軍を送って劉邦の天下取りに協賛するか、それとも謀反か。
苦渋の果てに韓信が出した答えは・・・
狡兎死して、走狗烹らる〜国士無双の凋落(ちょうらく)
韓信の派遣した援軍を得た劉邦は、垓下の地で項羽を四面楚歌、孤立無援の状態に陥れます。
項羽を倒した劉邦は400年続く大漢の高祖となり、この世の栄華を謳歌します。
論功行賞の末に、韓信は自らの出身地であり、宿敵項羽の治めた楚の王位を授けられます。
先ほどの悪童を役人に取り立てるのは、この頃の話です。
有頂天の韓信でしたが、あの時の蒯通の言葉は彼を疑心暗鬼にさせます。
韓信の謀反を疑う劉邦に恐れを抱き、韓信はクーデターを企てますが、それが露見し、彼はわずかな領地を治める淮陰侯に降格させられます。
韓信は蒯通の言に従うべきであったと嘆きますが、全ては後の祭り。
間もなく処刑され、その生涯を終えるのです。
最後に〜今こそ根を張るべきとき
いかがだったでしょうか。
この韓信の生涯からは、少なくとも2つのことが学び取れると思います。
①どんなに屈辱的で、長い不遇の時代があっても、あきらめずに大志を抱いて努力と研鑽を積み重ねていれば、いずれは大いに活躍する可能性もあるということ。
②チャンスを無駄にすると、そのチャンスを逃すばかりか、それ以上の災難が身に降りかかってくる。
不遇の時代、韓信は大志を抱いていただけではありません。
兵を操らせたら右に出る者はいない人物です。
三国志の天才軍師諸葛孔明や豊臣秀吉に仕えた名軍師黒田官兵衛も、この韓信から多くを学んだわけですが、そのように後世の英雄の学びの対象になる兵法を駆使したわけですから、韓信自身も余程学問を積み重ねたであろうことが予想されます。
兵法を用い、実際に兵を操るには、その土地土地の地形や地勢というものも頭に入れておかなければなりません。
そのため、兵書の虫というだけではなく、韓信は実際に多くの地を旅して回ったことも想像されます。
大きな樹木の下には、その樹木以上に大きく根が張り巡らされているものです。
コロナ禍に翻弄される状況ではありますが、この機にもしっかり目標を見定め、コツコツと努力を積み重ねることが大事です。
学校に通える
好きなもの・得意なものがある
夢を持っている
自由に夢を持つことが許されている
・・・
やろうと思えば、好きなことができる
些細なことかもしれませんが、これらはまさに天が与えたチャンスです。
アメリカでは、高い知能を持った人々のことを「ギフテッド」(=(天から能力を)贈られている)と呼びますが、これらだって世界の他の国々から見ればギフテッドなのです。
才能を殺すのは自分を殺すこと、そして社会に対して自らの才能を行使し、社会に寄与する機会を奪う愚かな行為です。
天の怒りは、まさにここから来るのでしょう。
どんな状況でも腐らず前を向いて、そして与えられたチャンスはその時にしっかりと享受する。
この韓信の生涯を参考にして、ぜひ明日から気持ちを切り替えて、日々を無駄にすることなく毎日を過ごしていきましょう。
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