なぜ挨拶しないとダメなの?と子供に聞かれたら

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この記事で分かること

☆なんで挨拶をする必要があるのか、その重要性をしつこいくらい(笑)根本から見つめ直します。

(子どもへの解答編)

☆戦略的な挨拶の重要性とは?

建前を抜きにして、挨拶をすることのプラグマティックなメリットを提示します。

(大人への解答編)

☆挨拶する子に育てるためにはどうすればよいか?

 

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挨拶の意味とその重要性

私は、学校では挨拶を徹底します。生徒に対しても挨拶を徹底させます。そもそも、なぜ挨拶は必要なのでしょうか。それは、人間は一人では生きられないからです。何をするにも、人間は一人では生きて行けないからです。日々、支え、支えられて生きている。だから、他者に対して敬意を払わなければならないのです。その気持ちの現れこそが、挨拶なのです。

現代思想では、これを「交換」と言います。人間は他者ができないことを他者になり代わって行います。また、同時に自己が行い得ないことを他者が行います。絶えず、人間は互いに「贈り物」を交換しているのです。現在、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、医療関係者が日夜治療のために奮闘して疲弊ひへいしていますが、連日の報道を見て、「お金をもらってるのだから当然だ」とは誰も思わないはずです。医療に限らず、運送に携わる方もマスクの品薄に伴ってフル回転でした。また、スーパー、薬局、コンビニエンスストアーなど、こんな現状になってもスタッフが稼働してくれているわけですが、このように自分ができない何かをしてくれる人がいて、私たちの生活は成り立っているのです。

神様が味方する71の習慣

ありがとうの神様

「ありがとう」という言葉は、もともと「ありがたし」という形容詞からできています。漢字で書くと「がたし」となり、「有る」ことが「むずかしい」ので、「めったにない」とか、転じて「素晴らしい」という意味になります。今回の医療関係者の働きは、この感謝の言葉に見合う、まさにめったにないことですよね。今日も本当にありがとうございます。

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哲学の世界では、自己は自己だけでは存在しないと言われます。なぜなら、自己を認識してくれる他者がいなければ、自己はいないのも同然だからです。たとえ私のようにフリーランスとなって一人で家にこもって仕事をするにしても、こうして記事を読んでくださる方がいて、初めて仕事が成り立っています。また、親子関係でも、子どもが保護者の養育なしに存在できないのは当然ですが、子どもの笑顔に救われて、なんとか立ち直ることができる日が私たちにはありますよね。これも、互いに贈り物をし合っているということなのです。だから、その都度素敵な贈り物になるよう、生まれて来てくれてありがとう」の気持ちを持って、子育てをしていきたいものです。

うまれてきてくれてありがとう (単行本絵本)

 

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戦略的な挨拶の重要性とは?

木村沙織というバレーボール選手がいます。日本のエースアタッカーとして長年活躍した選手として有名ですが、もう一つ彼女を有名にしている要素があるのですが、それが「挨拶」なのです。

バレーボールファンの方はご存知だと思いますが、彼女は試合後、誰よりも深々と、何回もお辞儀をするのです。ここまで指導してくれている監督やコーチ、変わらず応援してくれているファン、そこにはいないかもしれませんが、家族や、今までお世話になった関係者に対する感謝も含まれているのかもしれません。一途に、彼女は丁寧にお辞儀をするのです。

私は、これが木村沙織の強さの理由の一つだと思っています。このように感謝をされたら、監督やコーチも人間です、もっと指導やサポートをしようと思うはずです。また、ファンもその姿に感じ入って、永続的にファンとして応援してくれることでしょう。何よりも、感謝を伝えられる素直な心は、他者から向けられるアドバイスを拒絶しません。他者の言葉をじっくり聞く耳を持っているはずです。体格や素質だけではエースにはなれません。この素直な心こそが、彼女の最大の武器だったのではないでしょうか。

これは、教育の現場にも当てはまります。例えば、放課後、その日の授業に関する質問を生徒がしに来たとします。その生徒が帰る際に、丁寧にお礼を言おうものなら、教員はまた後日、今度は自分から声を掛けて「またいつでも聞きに来い」と言うかもしれません。分かりやすいプリントを2、3枚携えて、その生徒のもとを訪れるかもしれません。挨拶は、人を味方につけるのです。冒頭の話、なぜ私が生徒に挨拶を徹底させるのか、これがその理由なのです。「戦略」という言葉は使いませんけどね。笑

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子どもに挨拶させるにはどうすれば良いか?

以上のように、子どもに挨拶を習慣化させるメリットは多いです。では、どうしたら自然と挨拶をする子どもに育てることができるでしょうか。

以前、感銘かんめいを受けた言葉にこんなものがあります。

「隣(=中国)とも仲良くできない者が、口で世界平和論をいくらやったって話になりませんよ。一家もおさめられないで奥さんにいつでも出刃包丁でばぼうちょう突き付けられている男が、街頭演説で世界平和論やったって、誰が聞きますか。」

面白くありませんか。日中国交正常化を実現した田中角栄かくえいの言葉です。 人物のしは別として、名言だと思いました。一事いちじ万事ばんじです。 みなさんはご家庭で、互いに挨拶をしているでしょうか。家庭でできないことは、同じように社会でできるはずがありません。「人に優しくしましょうね」と子どもに言ってる側から車の運転が荒かったり、人を蹴落けおとすような暴言を吐いたり。そんなことでは、優しい子どもに育つわけがないのと同じように、日常的に挨拶をしない生活の土壌から、挨拶をする子が育つはずがありません。一事は万事なのですから。

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とある甲子園の名門校では、挨拶ではどのチームにも負けないということを目指して、まず最初に挨拶を徹底的に練習するそうです。挨拶の習慣が、そのうち礼儀正しい心を育てるのです。心理学では、行動が人間を形成すると言われます。大きな声で丁寧に挨拶をされた選手の周囲の人々は、この気持ち良い高校球児に対して熱心な指導やサポートをするでしょう。すると、その温かい気持ちに感じ入った選手はまた「ありがとうございました!」と礼儀正しくお礼を言うでしょう。そして、周囲の人々はまた彼らに真心を込めて「贈り物」をするのです。その連鎖が、彼らの本物の礼儀正しさを形成していくのです。

ちなみに、これは余談ですが、私は今までクラスの保護者に恵まれていましたが、中には、何かあるとすぐにクレームの電話をしてくる親がいるみたいです。はっきり言うと、あれは子どものためには全く役に立っていませんね。いじめやアカハラ(=アカデミックハラスメント)などは別です。すぐに学校に電話するべきです。しかし、担任や学校の指導方針に対してすぐに横やりを入れたのでは、教員も人間ですからね、その生徒には関わりづらくなるでしょうね。そして、何の指導もアドバイスもしてあげられなくなる可能性があるでしょう。

 

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まとめ

☆「挨拶」とは、他者との互恵ごけい関係で存在している人間が、他者に対する感謝と敬意を表すために行うものである。

☆互いに高められる関係性を構築するために、ある意味、戦略的に「挨拶」は行う方が良い。

☆親がきちんと挨拶を行い、範を示すことこそが、子どもに挨拶を習慣化させる秘訣である。

昨今、挨拶は軽視されがちですが、私は1学期の始業式か、その次の日には必ずその重要性について生徒に話します。なんせこれだけ奥深いわけですからね。みなさんも、ぜひ実践してみてください。

 

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