なぜ人に優しくしなければならないのか?

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はじめに

こんにちは。

今日は、「なぜ人に優しくしなければならないのか?という、少し哲学的な話です。

コロナウイルスが猛威を奮っていますが、みなさんお元気でお過ごしでしょうか?東京では今週末、不要不急の外出を控えるようにとの都知事の要請があり、不安とストレスばかりが募る毎日ですが、その不安が必要以上の買いだめに走らせたり、またそのストレスは人間同士を過度な批判合戦へと駆り立てています。

未曾有の国難に四苦八苦する政府、容赦なく批判を繰り返す野党と国民。その他様々な場所でも同様の衝突が起こることが予想されます。日夜繰り返されるその罵声と怒号が、子どもたちの心理に悪い影響を与えなければ良いと切に思う今日この頃です。東日本大震災直後と状態が似通っていて、長い長いトンネルに入ってしまったような鬱屈した気分です。こんな時こそ理性を働かせて、日本人の助け合いの精神をフルに発揮してこの難局を乗り切りたいものです。

 

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ノブレス・オブリージュ

ノブレス・オブリージュ」という言葉をご存知でしょうか?しばしば「高貴なる義務」と和訳されるフランス語で、社会的権力や地位、財産を有する者は、同時に義務も有しているという崇高な理念です。以前、NHKで、吉田茂のブレーンとして活躍し、敗戦後の日本復興に尽力した白州次郎がドラマ化されていましたが、そのドラマの中で伊勢谷友介さん演じる白州次郎が、ノブレス・オブリージュの解釈をこういう言葉で言い表していました。

持てる者は、持たざる者に与える義務がある」(=それを保持している人間は、それを保持していない人間に恩恵を施す義務がある。)

つまり、富や名誉、地位といったものは選ばれた者に与えられた特権であるので、その選ばれた者はその特権を他の人間の利潤のために行使しなければならない、ということです。

アニメや映画で見たことがある人がいると思いますが、バットマンはまさにその典型でしょう。ブルース・ウェインは幼い頃に悪漢に両親を殺害されます。しかし、残された巨万の遺産をもとに、ハイテクを駆使してバットマンに変身し、悪に立ち向かってゴッサムシティを救うのです。

仕事も人間関係もうまくいく 「気遣い」のキホン

高いIQ(知能指数)を持つ人のことを、アメリカでは「ギフテッド」と呼びます。先天的に高い知能を「贈られた」という意味です。そう考えると、富裕層や上級国民と呼ばれる方々も、先天的にせよ後天的にせよ、ギフテッドだと言えるでしょう。それだけではありません、拡大解釈をすれば、「優しさ」や「知性」を有している人間、そして感情を適切にコントロールできる人間もまたギフテッドなのです。「持てる者」、特権階級なのです。だから、それを「持たざる者」のために行使しなければならないのです。

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悪の連鎖

一人の人間が誰かに悪態をつく。すると、悪態をつかれた人間は、当然嫌な気持ちになります。ここまでで、被害者は悪態をつかれた一人。しかし、それですべては完了すると思ってはいけません。

通常、悪態をつかれた人間は、多かれ少なかれ体内にフラストレーションを抱えるわけですので、以降、愉快な気分で1日を過ごすことはできなくなります。時には、そのストレスを他の誰かに向けることもあるでしょう。それは帰りに寄ったコンビニの店員に対してかも知れません。それは、奥さんや子どもに対してかもしれません。いずれにせよ、体内で消化しきれなかった不愉快さは、新たな悪態となって他者に向けられることがあります。不愉快の度合いによっては、複数人に向けられることもあるでしょう。そして、新たに悪態をつかれた人は、そのストレスをまた他の誰かに向ける。中には複数人に向けるのです。こうして、まさに悪態の連鎖負の連鎖が起こるのです。だから、最初の愚かで無責任な人間の所作は、ねずみ算式に、多くの人々に伝播(でんぱ)されることになるのです。

その悪態が巡りめぐって自分に逆戻りすることだってあるかもしれません。不可視的なことですが、何かとストレスのたまりやすい現代社会では、日々悪態の応酬が繰り広げられている可能性が大いにあるのです。それが、今回のような未曾有のウイルスのパンデミックの状態に置かれたら、それこそ悪態のクラスター、悪のパンデミックが起こってもおかしくはありません。実際、東日本大震災の時は、日本全体を負の連鎖が包み込んでいました。

だから、この負のスパイラルを、その途中途中で遮断できる人間が必要なのです。また、遮断するだけではなく、今度は善の連鎖の起点となる人間が必要なのです。

 

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善の連鎖

親切にされれば、心は温かくなります。温かくなれば、人に、人々に親切にしようと思います。「善のスパイラル」です。前述の「ノブレス・オブリージュ」(高貴なる義務)のように、優しさ」「知性」を有する人間、感情を適切にコントロールできる人間は、それらを行使する義務を果たさなければならないと私は考えるのです。

また、悪を遂行する人間は、この世の中が善を志向する人間の無償の努力によって秩序づけられていることを、いつか認識しなければなりません。たとえ一つの悪態であろうと、それは多くの人々に悪影響を与えているのです。しかしまた同じように、たとえ一つの優しさであろうと、それは多くの人々に良い影響を与え、平和を構築する一助となっているのです。

「優しさ」や「知性」のギフテッドのみなさんにお願いがあります。どんな些細なことでも構いません、今日はゆっくり休んで、明日も「選ばれし善の媒介者」として高貴なる義務を行使してください。

どうか、どうかお願いいたします。

人望が集まる人の考え方 (レス・ギブリン)

 

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